「あぶくま山の暮らし研究所」の青木一典代表と荒井夢子・事務局長が、道路わきに植えたモミジの木を枝打ちする(撮影/菅沼栄一郎)
「あぶくま山の暮らし研究所」の青木一典代表と荒井夢子・事務局長が、道路わきに植えたモミジの木を枝打ちする(撮影/菅沼栄一郎)

 原発事故から10年が経ち、福島県の多くの地域で除染作業が進んだが、森林の除染作業は難しいという。そんな中、森林や山を「元の姿にして返す」べく、動き始めた人たちがいる。AERA 2021年3月15日号で取材した。

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 福島県の阿武隈山地で昨年、小さな任意団体が設立された。「あぶくま山の暮らし研究所」。地元の住民、林業関係者や森林、経済の研究者ら約10人が旧都路(みやこじ)村(現田村市)に集まって、「150年の山構想」づくりを目標に掲げた。

 原発事故から10年。福島県内では、人が住む区域の除染は一定程度進んだが、住宅地周辺以外の森林は除外されているのが現状だ。

 大学院生のころから、阿武隈山地の原発事故被害調査に通っていた福島大学の藤原遥准教授(31)が言う。

「30年を半減期とするセシウム137は、150年後には3%まで減り、野生の山菜やキノコなどが利用できるようになるかもしれません」

 隣の旧船引町に生まれ、ともに構想を練る事務局長の荒井夢子さん(35)は「開発・経済優先だった明治以来の150年の地域のあり方を問いたい、との思いも込められています」と加える。

 代表を引き受けた林業、青木一典さん(59)は、「私たちが使った農地や汚した山を、いったん自然にお返ししよう、と考えている」という。旧都路村の自宅は福島第一原発から約25キロ。農家の4代目として黒毛牛経営などを継いだが、原発事故後に断念。以来、森林組合で働きながら、モミジやサクラを約1500本植え、今後も続ける考えだ。

 副代表の久保優司さん(54)は、森林除染のために岩手県の盛岡地検事務官を辞め、阿武隈山麓に移り住んだ。

「林業の作業を通じて、山の表土は森が成り立つ命そのもので、表土をはぎとる除染は難しいことがわかった」

 今日切ったスギは100年前に曽祖父が植えたもの。同じ場所に植えた苗は、ひ孫の時代の財産になる。「林業は100年、200年は身近な世界です」と青木さんが言えば、「目の前の経済の都合ばかりで判断する復興の考え方に、山の哲学が必要では」と久保さんがくぎを刺す。

 できるだけ元の姿に戻して「山に返す」という青木さんの考え方は人の生き方にも通じるな、と荒井さんは思う。そんな人たちが集まった冒頭の研究所は14日に、シンポジウムを開き、本格的な活動を始める。

 荒井さんが言う。

「当面は地元の住民の人たちと『kizuki会議』(気づき、築き、木好き)を重ねて、持続可能な山づくりとその中での暮らし方を探っていきたい」

(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2021年3月15日号