マシンガンのようなパワフルで速力の「宮治落語」の誕生は、宮治の社会人経験と無縁ではない。

 東京・品川の生家は、肉屋、ステーキハウス、テナント業などを営み両親ともに多忙を極め、上に年の離れた姉が3人いたが、夕食はいつも一人。小学校の高学年になるまで祖母の部屋で眠った。中学生時代、祖母に連れられて観た大衆演劇をきっかけに芝居に魅せられる。高校で廃部になっていた演劇部を再開させようとしたが失敗。アルバイトに精を出しながら、芝居を観て歩いた。高校卒業後は役者の道を目指そうと、通い詰めていた加藤健一事務所に入所する予定がアクシデントで入所し損ねた。別の養成所に入り3年間、アルバイトと舞台役者の生活が始まった。とはいえ、この時点では落語との接点は皆無だ。

 お決まりのような舞台役者のアルバイト生活。芝居をやるには金がかかる。1カ月に及ぶ稽古の間の生活費を工面しなくてはならない。そのためにレストランのホールやシロアリ駆除会社の営業マンなど必死で働いた。芝居の先輩から「役者やお笑い芸人もやっている仕事があるけどやってみないか」と紹介されたのが、ワゴンの化粧品販売の仕事だった。スーパーなどの通路にワゴンを置き話術を駆使して売る、いわば化粧品の実演販売だ。通りすぎる人の足を止めさせる。買わせられるという不安を拭いさり、無料配布の化粧品だけはもらいたいがあとは逃げだしたいという客の心理をつかみ、その場から一歩も逃さないため、息をつかせないほど畳みかける話術を天性で会得していった。この販売の様子をそのまま再現して織り込んだほろりと泣かせる新作落語「プレゼント」は、宮治落語の原点だ。かつてこの仕事を共にしていた現在テレビなどで活躍中のナレーター山崎岳彦(46)は、売り上げのトップを独走する宮治の販売をこっそりのぞいたことがあった。

「一生懸命に説明しながら額から汗が流れてくると、ほら豚の脂が流れてきたっていってお客さんをドッカンドッカン笑わせている。今の落語と重なります。これは僕には出来ないなとあきらめたものです」

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