芝居を続けるためのアルバイトだったはずなのに気が付くと有名化粧品メーカーから指名が入り、全国を飛び歩いた。売り上げは全国一。収入は20代の平均年収の倍を遥かに超えていた。

「人を不幸にしているんじゃないかと思いだして。要らないものを要ると騙して買わせているんだから一生の仕事には出来ないと悩みだしたんです」

「もう好きなことをしたら。私がまた働くから」と背中を押してくれたのが、2歳年上の妻の明日香(46)だ。ふたりの結婚披露宴で、列席していた宮治が所属していた会社社長を目の前に、突然退職を宣言する。宮治は30歳になっていた。

 これから一生続けられる好きなこととはなんなのか。ノートパソコンでユーチューブを開いた。生まれて初めて観る落語というものがあった。ここで、関西の爆笑王と呼ばれた二代目桂枝雀(しじゃく)の「上燗屋(じょうかんや)」に出合う。タダの肴ばかり選りすぐる酔客の噺だ。枝雀のオーバーアクションと言葉遣いがめちゃくちゃ可笑しい噺である。

「10回は繰り返し観て大笑いした。これだ、落語だって確信したんです」。お笑い芸人になるのには反対した妻が賛成してくれた。落語家になるには、どうやら落語家の師匠に入門しなくてはいけないらしい。ユーチューブを観まくり、都内のあらゆる寄席や落語会に通った。どの師匠に入門したらいいのか皆目わからない。落語をまったく知らないからこそ自分の好きな落語を話す落語家を探すのではなく、父親のように一生慕っていけるような落語家を見つけようと漠然と決めていた。国立演芸場の寄席に出向いたとき、高座の袖からにこやかにゆらりと出てきた三代目桂伸治(しんじ)を観た時全身に稲妻が走った。

「頭が真っ白になって電気が走ったようなことは人生で初めてでした」。伸治の落語を聴く前にこの人を師匠としようと決めたのだ。

「博打みたいだって? 違いますよ。自分の人生を預ける人はこの人しかいないと一瞬で決めるということは正解でしかないんだ。親以上と思えるような人を探すのが師匠選びでした。変な話、下の世話までできると思える人が師匠なんです。この話してるだけで、僕涙が出そうだ」(文中敬称略)

(文・守田梢路)

※記事の続きはAERA 2021年3月1日号でご覧いただけます。