契約社員として働いていたが、コロナ禍前の昨年、契約は更新されず打ち切られた。居酒屋などでアルバイトしていたが、5月、コロナ禍の影響でそこも解雇され無職になった。次のアルバイト先を探したが見つからず、無収入の状態が続いた。

 家賃は月8万円。一緒に暮らすパートナーと折半だが、パートナーもフリーランスで収入は不安定なため、支払いは苦しい。

 女性は母親(60代)から毎月仕送りをもらい、何とか家賃を払ってきた。しかし、母親も4月にコロナによる会社の経営悪化で解雇になり、仕送りを続けられる状態ではなくなった。夏には住居確保給付金も受けたが、3カ月で切れた。貯蓄はなく、月末にはクレジットカードの請求もあった。

 死ねば楽になるかも──。

 そう思い、部屋で首を吊ったり剃刀で手首を切ったりしたが、死ねなかった。11月にアルバイトが見つかり何とか持ち直したが、不安は尽きない。

「このままだと金融ローンで借りるしかありません」(女性)

 生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとプラス」(さいたま市)の相談員、高野昭博さん(65)は、窮状をこう話す。

「今は、多くの方が路上生活の一歩手前で何とか踏ん張っている状態です」

 コロナ禍で相談は例年の3倍近く増えた。非正規で働く20代、30代の若者が多く、「まさかここまで深刻になるとは思わなかった」と口を揃えるという。

 家を失うとはどういうことか。

 最近までホームレスをしていたという男性(35)が取材に応じてくれた。コロナ禍で職を失い、3カ月近く路上生活をした。

「やるせなく、悲しかったです」

 そう当時の心境を振り返った。

■最低限の生活がしたい

 都内に本社がある観光業界で契約社員として働いていたが、経営が悪化し、4月に契約が更新されず職を失った。会社の寮に住んでいたが、直前に転勤の辞令を受けて寮を出て、さいたま市内のビジネスホテルで暮らしていたので、仕事と同時に住まいも失った。家族とは絶縁状態で、10年以上連絡を取っていない。頼る人もおらず、わずかな貯金と日雇いで稼いだお金でネットカフェなどに寝泊まりしていたが、7月にその貯金が底をつき、ホームレスになった。市内の公園や廃墟になったビルの階段で一日一日を過ごした。食事は1日1食、知り合ったホームレスがくれるコンビニの賞味期限切れの弁当などでしのいだ。風呂は、公園の水道でタオルを濡らして体をふいた。

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