京都市京セラ美術館の杉本博司設計《硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)》茶室披(びら)きで(撮影/楠本 涼)
京都市京セラ美術館の杉本博司設計《硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)》茶室披(びら)きで(撮影/楠本 涼)
妻の麻子は料理の勉強のためフランス留学もした努力家。少しずつ京都の生活にも慣れてきた。千家の愛犬「力真留(りきまる)」と一緒に散歩することも。千は「母に一番なれています」と言いながらおやつを与える(撮影/楠本 涼)
妻の麻子は料理の勉強のためフランス留学もした努力家。少しずつ京都の生活にも慣れてきた。千家の愛犬「力真留(りきまる)」と一緒に散歩することも。千は「母に一番なれています」と言いながらおやつを与える(撮影/楠本 涼)

 450年以上の歴史を持つ武者小路千家。祖は千利休である。伝統を受け継いできたこの茶家に、千宗屋さんは生まれた。小さなころから神社仏閣が大好きで、千さんが培ってきた豊富な知識は、今、美術界や出版界からもひっぱりだこに。だが、厳しい状況にもある。コロナ禍において、一碗で濃茶をまわし飲みするお茶の文化を、どう守っていくのか。

【写真】千家の愛犬「力真留」

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 朝から蒸し暑い空気に包まれた6月28日。ようやく緊急事態宣言が解除になった東京から千宗屋(44)に会うため、京都市上京区にある武者小路千家官休庵へ向かった。その名も武者小路通りに面した官休庵では、門や露地に清々しく水が打たれ、かすかに香が漂う。武者小路千家は表千家・裏千家と共に三千家と呼ばれ、祖は千利休。現家元は十四代千宗守(75)で、宗屋はその長男である。

 私が初めて千に会ったのは、15年前のことだった。この「現代の肖像」で花人の川瀬敏郎を取り上げた際、「千宗屋さんにも関連取材をしてほしい」と依頼されたのである。取材場所に現れた20代の千は気さくで、いかにも若かった。川瀬にとって27歳年下ながら茶道の師匠。しかも千は既に茶道から古美術、宗教、日本の歴史、現代アートまで、専門家たちと語り合える若き才人として注目されつつあった。その後、メディアにもよく取り上げられ、美術展のプロデューサー、現代美術家とのコラボレーション、海外での交流、茶室の監修と活躍の場を広げていく。経営者の弟子が多いことから、ビジネス誌にもしばしば登場した。

 そんな千は官休庵のあるこの地で生まれ育った。千家の子だからといって特別な躾を受けた記憶はない。ただ、物心ついた頃からお寺や仏像、神社が大好きだった。おもちゃを楽しむように嬉々として仏像を見る3歳の千を見て、母方の祖父は「神社仏閣」というあだ名をつけた。
 出版社ミシマ社の代表・三島邦弘(45)は、千の幼なじみである。家が近所で幼稚園や小学校も一緒に通った。通学には官休庵を通り抜けていく。

「千君の家は広いのでかくれんぼや鬼ごっこするのが楽しかったです。お茶室の屋根に登ってお弟子さんに叱られたこともあります。ある種ケタ違いの家ですよね。でもあの一家は威張るところは全然なく、かなり庶民的でした。彼のお父さんのことも普通に『おっちゃん』と呼んでましたね」

 普通の子と違ったのは、千にはテレビや流行のおもちゃの話は全然通じないことだった。卒業アルバムで自分の好きな絵を描く時も、日本・インド・中国の仏像で埋め尽くした。

「彼と一緒にお寺や神社巡りにも行きました。子どもだからお寺も無料拝観ですが、彼は入り口で、当時の我々には大金の千円札を『志』と書いた袋に入れて差し上げてるんです。僕は『志』という言葉をあれで覚えました(笑)」(三島)

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「私の暗黒時代」