トリチウムは三重水素とも呼ばれ、水の状態で存在するため除去が難しい。放射線は微弱といわれるが、低濃度でもリスクがあるという専門家もいる。トリチウムを含んだ処理水は増え続け、4月時点で貯蔵量は約120万トンに。22年には敷地内の保管場所が限界を迎えるとされる。海洋放出するにしても、そのための施設整備の時間を逆算すると、早期に決定する必要があると言われている。

 これに対し、全国漁業協同組合連合会は6月に反対の特別決議を採択。福島県漁連も「海洋放出に断固反対する」などと決議。浪江町議会など10以上の市町村議会が反対を表明した。

 県地域漁業復興協議会の委員としてこの問題に関わってきた濱田武士・北海学園大教授(漁業経済)は、「漁業者の立場から言えば、これまで試験操業の中で積み上げてきた努力が逆戻りしかねない、との思いだろう」と話す。

 ただ、知事や県議会、一部の町議会は、賛否を明確に打ち出していない。内堀雅雄知事は国と東電に「慎重な検討」を求める以上の答弁をせず、県議会も7月の議会で放出に反対する意見書案の採決を見送った。

 相馬市で生まれ育ち、「清昭丸」(19トン)の4代目船主を継いで21年になる菊地基文さん(43)はこう話す。

「処理水? 反対を言い続けなけりゃなんねえと思う。でも、結果として、海に放出されることになっても、対抗策も考えておかねばならんでしょうね」

 基文さんは、5人きょうだいの3番目、ただ1人の男子だった。大学時代に父が病死、「図らずも」漁師を継ぐことになった。

 東日本大震災の津波に清昭丸が流されて、船底に大きな穴が開いたのが34歳の時。幼い2人の娘と妻を連れて、秋田県や宮城県へ避難。家族とは別に、事故直後に単身で相馬市に戻り、試験操業にも参加した。

 筆者は15年秋、試験操業に出る清昭丸に同乗した。相馬原釜沖約60キロの洋上、早朝に巻き上げた網から大量の魚群が甲板にぶちまけられると、ゴムガッパ姿の基文さんが体長80センチほどのヒラメを抱え、海に放り投げた。当時、ヒラメは放射性セシウムの「不検出」の割合が90%程度で、出荷制限中だった。スーパーで買ったら7千円はする、と後で聞いた。

「いたまし(もったいない)なあ。いつになったら港に持って帰れんだべ」

(朝日新聞社・菅沼栄一郎)

AERA 2020年8月24日号より抜粋