三越の前で撮影されたカップルの男性は白手袋だが、当時、新婚旅行の人が着けたという。女性は毛皮のコートを羽織り、おしゃれをしている。風呂敷を持つ人もいるが、当時は日常的に風呂敷を使った。

 銀座4丁目にあるガラス張りの円筒形が特徴のビル・三愛ドリームセンターは、63年に建設されたが、このビルの前でもまた、伊藤さんは多くの人びとを撮影。

「仕立屋さんが教えてくれたのですが、この男性のスーツはおそらくオーダーメイドだそうです。袖にはカフスもしています。これからお見合いにでも行くんじゃないでしょうか。余裕な中にも、『やってやるぞ』という目をしていますよね」

 飲食店も多い。すし屋「亀八鮨」は、現在の4丁目にあった。今は「グッチ」のある場所だ。

「中華丸八そばは、有楽町線・銀座一丁目駅11番出口付近にありました。今でこそラーメン屋も公衆電話もなじみ深いものですが、当時、公衆電話は最先端のものでした。新旧のコントラストを意識して撮影したんだと思います」

 取材の最後に、森岡さんと銀座の街を歩いた。「東京オリンピック2020」の旗もポスターもほとんどなく、代わりにデパートの入り口には、コロナ対策用の消毒薬が置かれていた。街を行く人の顔にはマスク。本当だったら、今頃はオリンピックで盛り上がっていたのだろう。コロナの影響が色濃く映る街だが、人びとにとって銀座に来る「特別感」は、64年のころと変わらないようだ。

「鹿島の工事の写真が、一番伊藤昊らしい銀座の写真と思うのですが、スクラップ&ビルドを繰り返して経済成長を歩み続ける東京を、詩的に表現したと感じています。銀座には新旧を受け入れる懐の深さがあり、そんな銀座の土壌を、伊藤昊も見ていたと思うんです」

(編集部・大川恵実)

AERA 2020年7月13日号