<滋さん> そうですね。もう明日には(日朝間で)交渉が行われるんじゃないかと。私はいつも、(制裁のための制裁ではなく)交渉をしてほしいということを言ってるんです。

<早紀江さん> その辺は私は違っていて、やはり圧力をかけないと。向こうは、やってくることが普通の国ではないのですから。

 北朝鮮はこの10年、「めぐみさんは心が病気になり自殺した」との主張を崩していない。だが死亡時期については当初の「93年3月」を、日本側の反論への対応か、「94年4月」に訂正した。

 だが昨年秋ごろから、

「05年の北の内部資料で、めぐみさんとみられる女性が生きていることが確認された」
「金正日ファミリーの日本語の家庭教師をさせられていた」
「01年時点で生存を示す複数の有力情報が出ている」

 等々、めぐみさん関連の話が様々に報じられている。

<早紀江さん> もう慣れました。もう勝手に言っててくださいというか。やはり政府がそれをどうみているかがはっきりしないと、本当のことはわからない。だから、どんな情報が報じられても、まだわからないなと。でも、真実が表に出てくるときは必ずあると思っています。
 これはというときは、政府の拉致問題対策本部に問い合わせますが、ほとんどが「それは知りません」ですから。まあ、言えないのでしょうけれど。

■全部私の中に入ってる

 早紀江さんは最近、著書『めぐみと私の35年』(新潮社)を出版した。元気がよくて、少しやんちゃで、おかしなことを言ったり、滋さんのカメラの前でおどけて家族を笑わせたりするめぐみさんの姿がつづられている。夫妻にとっては、1977年11月、新潟市内の中学1年生だっためぐみさんが、下校途中に拉致されるまで一緒に暮らした13年間が、「忘れようにも忘れられない」かけがえのない日々である。笑いが絶えなかった一家5人の暮らしを北朝鮮は暴力で奪い取った。

<早紀江さん> 当時のことは全部そのまま(私の中に)入ってるから、いつも昨日のことのように思い出しますよ。今でも。

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