――大変なお父さんっ子だったそうですね。
<滋さん> 動物園に行っても、ここで待っててよと言って、ダーッと(人の列を)潜っていって、一番前で見て、また戻ってきて教えてくれるんです。象の鼻がどうだったよとか、脚がどうだったよとか……。
<早紀江さん> とにかく積極的な子で。下の(弟2人)は小さい頃は恥ずかしがり。めぐみがいなくなってからは、家の中が火が消えたようになって。
<滋さん> (めぐみさんがプレゼントした)櫛は、(日本銀行で)働いていたときはいつも持っていました。今は家に置いてありますが……。
■実名出してよかった
目の前から突然いなくなった最愛の娘。そのめぐみさんが実は北朝鮮に拉致されていたと報じられたのは、「失踪」から20年経った97年2月のこと。本誌と産経新聞が同じ日に報道した。「あの日のことは忘れられない」と早紀江さんは言う。
<滋さん> 記事に実名を出すことで、確かに危険はある。でもイニシャルでMさんと書かれても、世間には信用されない。ならば中途半端に扱われるより、出すべきだと言いました。
<早紀江さん> 主人は、今やらなかったらダメだと。でも私は実名で出すことに反対したんです。もし大変なことになったらどうするのかと。2人の息子も反対でした。それで、不安になって、深夜にアエラ編集部に電話したのを覚えています。
<滋さん> 結果論でいえば、それでよかった。
<早紀江さん> (その報道を機に)ここまで本当のことが出てきたわけだし。めぐみが本当に北朝鮮にいたことが、現実に、わかったわけですから。
報道の翌月、拉致被害者家族らは「家族会」を結成する。この段階では拉致を「拉致疑惑」と呼ぶ向きも少なくなく、「北朝鮮拉致問題はない」「謀略の可能性がある」と主張する朝鮮半島専門の研究者や一部政党さえあった。社民党の幹部は、02年に拉致が明らかになった後、夫妻に「すみませんでした」と謝罪したという。