■大変なことなんだから

 北朝鮮に対する日本の対応をめぐり、「まず圧力を強めないと」「とにかく交渉しないと」と、時に意見の違いを見せつつも、滋さんと早紀江さんは「9.17」からの10年をめぐみさんのために共に歩んできた。

 めぐみさんの娘であると判明したキム・ヘギョン(ウンギョン)さんの存在もあり、「9.17」直後に北朝鮮が日本のテレビ局を呼んでヘギョンさんに語らせた「おじいちゃん、おばあちゃん、こっちに来て」に、滋さんは揺れた。「北朝鮮に来ませんか」は平壌が相手の懐柔によく使う手でもある。

<早紀江さん> 行きませんよ、私たち。絶対に。

<滋さん> やっぱりもう、個人では動けないですからね。

<早紀江さん> めぐみのことがはっきりして、「本当にやっぱり生きていました」「こういう場所にいます。だから会いに来てください」と言われれば、みなさんと相談して、政府の方たちと一緒に行けばいいと思うけれど。そういうこと以外は絶対に動きませんよ。いつも私たち、家族で話しています。拉致問題の一番肝心なところだから。

 昨年12月に金正日総書記が病死、金王朝は3代目の金正恩(キムジョンウン)第一書記に引き継がれた。日本人拉致問題に対する新体制の真意はまだ読めない。祖父と父の「負の遺産」を清算しようとしているのか、そのまま闇を抱え込んでいくつもりなのか。

――金正恩という若いトップにおっしゃりたいことは。

<早紀江さん> 拉致はお父様のなさったことで、親子を勝手に別離させちゃったということは大変なことなんだから、家族を喜ばせてくだされば、こちらもそちらのために喜びを与えられる。両方がいい関係になれるんじゃないですか、と。

 めぐみさんの双子の弟、拓也さんと哲也さんには計4人の子どもがいる。滋さんと早紀江さんの可愛い孫だ。だが夫妻の自宅は拉致救出運動の資料で埋まる。戦いはこれからも続くのだ。

(文/編集部・小北清人 AERA 2012年9月17日号掲載)

■横田めぐみさんをめぐる主な動き
1977年11月 下校中に北朝鮮に拉致される。当時13歳。
1997年2月 「北朝鮮による拉致」をアエラと産経新聞が同日に報じる。翌月、「家族会」結成。
2002年9月 小泉純一郎首相(当時)が訪朝し金正日総書記と会談。北朝鮮は拉致被害者5人の生存と8人の死亡を伝える。生存とされた5人は10月に帰国。めぐみさんは「93年3月に自殺」とされ、娘のキム・ヘギョン(ウンギョン)さんの存在が明らかに。後に北朝鮮は日本側の反論を受け、「死亡したのは94年4月」と訂正する。
2004年5月 小泉首相が再び訪朝。
2004年11月 北朝鮮がめぐみさんの「遺骨」だとする骨を日本政府に渡す。翌月、日本側のDNA鑑定で別人の骨と判明。
2006年 韓国人拉致被害者の金英男氏(特殊機関員)が、めぐみさんの夫だったことがわかる。
2011年11月 韓国誌が、入手した北朝鮮の資料から、「めぐみさんと推測される女性が2005年当時、平壌市に住んでいた」と報じる。
2012年8月 めぐみさんについて、「2001年時点で生きていた」「金正日ファミリーの日本語家庭教師をさせられていたのでは」などと情報が相次ぐ。