まずは飲んべえのホームグラウンド、居酒屋の誕生あたりから争奪戦の歴史をおさらいしてみよう。横井さんによれば、いわゆる居酒屋という業態の先駆けとなったのは73年、札幌で創業した「つぼ八」だという。

 それまで飲んべえが酒を楽しめる店といえば、時価で料理を出す日本料理店がほとんどだった。多くの庶民は気軽に足を踏み入れることができず、当時は家で飲食する、今でいう「巣ごもり消費」がむしろデフォルトだった。

 ところがつぼ八などの居酒屋が、1品500円といった明朗会計を打ち出すことで、庶民の飲酒客を取り込むことに成功。つぼ八は「刺し身の3点盛り」などのアイデアメニューを安価で提供し、平均客単価は、庶民でもギリギリ払える2500円前後。ホワイトカラーの飲んべえたちのハートをがっちりつかんで急成長していった。

 同時期に、将来のライバルたちも力を付けていく。70年の大阪万博のアメリカ館で紹介された「ケンタッキーフライドチキン」は爆発的な人気となり、ファストフードの草分けに。ほぼ同時に「すかいらーく」が東京都府中市に1号店を開店して「ファミリーレストラン(ファミレス)」も社会に躍り出た。

 憧れのニュータウンの団地に住む若い4人家族が、三種の神器の一つである自動車を乗り付けた「すかいらーく」で、ハンバーグ定食を食べる。これが当時の最強の娯楽だった。だから立地の多くはロードサイド。アルコールはメニューに加えられていたものの、酔っ払いは居酒屋、ファミリーはファミレスというすみ分けがなされていた。

 このビジネスモデルが変化するきっかけのひとつになったのは、人々の車離れだ。02年の道路交通法改正で酒気帯び運転の基準と、それによる行政処分が厳しくなった影響が大きいと言われる。

 主力ではないとは言え一定の利益を上げるアルコール飲料の販売落ち込みを避けようと、ファミレス各社は車がなくても行ける駅前などの店舗に注力。立地で居酒屋とかち合い始めたうえ、イタリア料理にジャンルを絞った「サイゼリヤ」が1杯100円前後のグラスワインを出して人気になるなど、教科書に載っていない戦争、「飲んべえ争奪戦」の第1幕、居酒屋対ファミレス対決の火ぶたが切られたのだ。

次のページ