<少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております>

「努力」でなく「研鑽」。努力の先にまだ努力が続く。そのようなイメージを持った。私が雅子さまを「真面目な優等生」ととらえた一つに、この言葉がある。

 今年の文書にも、雅子さまの素顔が垣間見えたところがあった。やや長くなるが紹介する。キーワードは「思いがけない」だ。

天皇陛下のご即位以来、5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております。また、この7か月の間に、地方への訪問、都内での行事などを通して、国民の皆様と接する中で、多くの方々から温かいお気持ちを寄せていただいたことを嬉しく、またありがたく思いながら過ごしてまいりました>

 令和になって以来、陛下と雅子さまの行くところには大勢の国民が集まる。「陛下ー」「雅子さまー」と声を掛け、お二人の笑顔を撮ろうとスマホやカメラが列をなす。今では見慣れた光景なのだが、そのことを雅子さまは「思いがけないほど」のことだったと表現しているのだ。

 二つのことを思った。一つは、雅子さまという方はごく控えめな方なのだということ。もう一つは、皇室に入って以来の日々が、雅子さまの「自信」のようなものをずいぶんと奪ってしまったのだろうということだ。

 だって、皇后なのだ。唯一無二の存在だ。「日本国の象徴であり、国民統合の象徴」であると憲法に定められているのは「天皇」だが、新しく「皇后」になった人のことを国民がお祝いするのは当然と言えば当然で、驚くことではない。

 なのに、それを当の本人が、「思いがけない」と言い、「本当に」「温かい」お祝いだったと重ねて形容している。その事実に驚いてしまう。

 雅子さまを直接知る人は、雅子さまのことを「控えめな人だ」と口をそろえる。一般の友人だけでなく、雅子さまと交友のある記者もそう証言している。そのことは知ってはいたが、「ハーバード大学→東大→外務省」という華麗なキャリアからどうしても「強い女性」をイメージしてしまっていた。

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