「浅井さんからは、栽培や醸造の技術を伝授されたというより、ワイン造りの思想を教授された。世界に通用するワインが、日本の気候と畑でも、いつか必ずできるという思想です」

 02年、71歳で亡くなった浅井さんの熱意をそう話すのは、76年当時、浅井さんの部下として契約栽培農家を一緒に回ったという、メルシャン勝沼ワイナリー元工場長の上野昇さんだ。浅井さんの退職年にメルシャンに入社し、浅井さんと若手醸造家たちの架け橋ともなった、同社チーフワインメーカーの安蔵光弘さんも言う。

「メルシャンだけが成功しても、日本ワインは発展しない。そう言って、シュールリー製法を惜しげもなく公開したことが、やはり浅井さんのすごいところだと思います。今も残る勝沼の醸造家たちの横の連帯は、浅井さんから始まったんですよね」

 口癖は、「雨の多い日本で、おいしいワインはできないと思った時点で負け」。

 一般に、ぶどうは雨が多いと水分を多く含み、出来るワインが薄くなるとされる。だが、手前側と銃口側にある照準を合わせてこそ命中するライフル銃を例に、「未来を考えるなら、現在だけでなく歴史を知らないといけない」と話し、研究と技術革新に取り組み続けた。

 社内の反対を押し切って技術を広めた浅井さんのマインドはメルシャン以外の若い醸造家たちにも受け継がれ、彼らは「ウスケボーイズ」と呼ばれるようになった。その物語は昨年、映画にもなっている。浅井さんを演じたのは、橋爪功だ。

 浅井さんの影響を受けた有名醸造家の一人が、「中央葡萄酒」(山梨県甲州市)の三澤茂計さん。その父から受け継いだ同社のブランド「グレイスワイン」を世界的なブランドに育てた娘の三澤彩奈さんを訪ねた。

 フランスのボルドー大学で醸造学を学び、帰国後は北杜市明野町の三澤農場を舞台に醸造家として活躍。14年には日本で初めて、「デキャンター・ワールド・ワイン・アワード」の金賞を受賞する快挙も報じられている。

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