【一度は訪れたい日本ワインの聖地】シャトー・メルシャン勝沼ワイナリー/メルシャンの前身「大日本山梨葡萄酒会社」が勝沼に設立されたのは1877年。今はヴィンヤード、醸造所、ワイン資料館、カフェ、テイスティングカウンター、ショップなどがある人気のワイナリーに(撮影/慎芝賢)
【一度は訪れたい日本ワインの聖地】シャトー・メルシャン勝沼ワイナリー/メルシャンの前身「大日本山梨葡萄酒会社」が勝沼に設立されたのは1877年。今はヴィンヤード、醸造所、ワイン資料館、カフェ、テイスティングカウンター、ショップなどがある人気のワイナリーに(撮影/慎芝賢)

「日本で醸造され、日本産のぶどうを100%使ったワイン」を指す「日本ワイン」。その人気が急上昇している。大手ワインメーカー各社がこぞって増産計画を打ち出すほどの人気ぶりで、世界中のワイン通も熱視線を送っている。背景にはやはり、その味の向上がある。なぜ日本ワインは美味しくなったのか、その理由に迫ったAERA 2019年12月2日号の記事を紹介する。

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 なぜ日本ワインはこんなにおいしくなったのか。そこには、絶対に欠かせないキーパーソンがいるのだが、その前にまずは日本ワインの歴史を、ざっとおさらいしておこう。

 日本ワインの生産が本格的に始まったのは明治以降と言われている。1927年には、赤ワインで使われる「マスカット・ベーリーA」と呼ばれる、日本の気候に合ったぶどうの品種改良もおこなわれ、国産ワインの生産に弾みがついた。

 その後しばらくはワイン自体の人気が低迷していたが、90年前後のバブル時代に、ボージョレ・ヌーボーの大ブームが起きて、本格的なワインブームが到来。その後、国産ワインが再び注目されるのは、03年に国産ワインコンクール(現・日本ワインコンクール)という、本格的なコンクールが開かれるようになってからと言われる。

 10年には、白ワインになる「甲州」と呼ばれる日本で古来栽培されているぶどう品種が、日本のぶどう品種として初めて「国際ブドウ・ワイン機構」に認定される。13年には「マスカット・ベーリーA」も同機構に認定され、EUなどに輸出する際、二つの日本固有のぶどう品種名をラベルに明記できるようになった。

 さて本題。日本ワインをこんなにおいしくしたのは誰なのか。ワイン関係者に尋ねると、「日本現代ワインの父」として必ず挙がる名前がある。「メルシャン勝沼ワイナリー」(当時)の工場長や、同社のワイン事業部長を務めた浅井昭吾さん、またの名を麻井宇介さんだ。

 それまで栽培されていた食用品種のぶどうを、手のかかるメルローに改植するよう契約栽培農家を一軒一軒説得し、76年、世界にも通用するメルローワインを世に送り出したことや、ヨーロッパの一部地域でおこなわれていたワインの澱をしばらく残しておくことでワインに深みを与える「シュールリー」製法の甲州ワインへの応用ノウハウを、ほかの醸造家たちに広めたことなどで知られている。

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福井しほ

福井しほ

大阪生まれ、大阪育ち。

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