ある時、絢と仲が良かった友だちの一人が、学校をやめさせられる出来事があった。問題を起こしたことは確かだったが、校則を犯したわけでもなく、絢らの目には学校側の決定がとても理不尽に映った。どうすれば事態を変えられるか。夜中も親に内緒で長電話をしたという。堀越は笑いながら打ち明ける。

「校長室に立て籠もるって言い出し、本当にやってしまったんです。絢は正義感と他人への愛情が普通じゃない。とにかく、おかしいと思ったことは、大人に対してもはっきり言うし行動で示す。そして、決して怯まないから頼もしい。その性格は今も変わらないと思います」

 この、おかしいと思ったことには敢然と態度を表明し、行動に移す「正義感」は、間違いなく父からの遺伝だと絢は自認する。中学卒業後、絢は日本を離れ、スイスの寄宿学校で高校生活を送ることになる。この絢のいない3年間に、父は時の人になっていた。「村上ファンド」の台頭である。絢がその事実を目の当たりにしたのは高校3年生の時。スイスから日本へと一時帰国する飛行機の中だった。

「気がつくと目の前のスクリーンにメディアに囲まれた父親が映っていたんです。テレビの国際ニュースだったと思います。スイスの学校はテレビもインターネットもなかったので、父に何が起きているのかわかりませんでした。ただただ驚いたのを覚えています」

 そして、スイスから日本に帰国した絢が、大学受験を控え準備を進めていた06年6月5日。父が突然逮捕される。その日、自宅前には数え切れない数の報道陣が詰めかけ、ヘリコプターが旋回する音があたりに轟いていた。

「私は高校生だったので、何が起きたのか全く理解できませんでした。母は4人きょうだいの末っ子の弟を産んだ直後で、気が動転していました。残された家族の中では、私が一番、大人に近かったので弟と妹の面倒をみないといけない。しっかりしなければと自分に言い聞かせました」

 翌年、慶應義塾大学法学部政治学科に入学。何もかも自由なスイスの高校と比べると、大学生活は退屈だった。逮捕された父の裁判が始まると、絢はその全ての裁判を傍聴した。父が何をしようとしたのか。何が間違っていたのか。絢は初めて知ることになる。大学で「あれ、村上ファンドの娘じゃない」と陰口を叩かれたこともあった。

(文/中原一歩)

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