枝野和子(えだの・かずこ)/1968年東京生まれ。大学卒業後、日本航空客室乗務員を経て、29歳で枝野幸男氏と結婚。2児の母(撮影/門間新弥)
枝野和子(えだの・かずこ)/1968年東京生まれ。大学卒業後、日本航空客室乗務員を経て、29歳で枝野幸男氏と結婚。2児の母(撮影/門間新弥)

 野党の顔として政権選択の衆院選に臨む立憲民主党の枝野幸男代表。初の著書を出した妻・和子さんが、表舞台では決して見せない夫の素顔を語った。AERA 2019年10月28日号に掲載された記事を紹介する。

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──結婚から20年。なぜこのタイミングで著書を出版されようと思ったのですか?

 お話はあったのですが、子育ての真っ最中だったこともありお断りしてきました。ただ何度か夫・枝野幸男に光が当たる度に、私や双子の子どもたちまでいろいろ詮索されて嫌な目に遭うこともありました。だから、いつか自分の言葉で事実を伝えたいという思いがあったんです。

──東日本大震災の時には悪質なデマを流布されたと聞いています。

 夫が官房長官の時でした。他党のかたから「枝野は、家族をシンガポールに脱出させた」という根も葉もないデマを吹聴されたのです。「妻子をシンガポールに逃がすような人を信頼してもいいのですか」と。それがSNSで一気に拡散し、仲のいいママ友や支持者の方からも「枝野さん、シンガポールに脱出したんじゃなかったの?」と言われて本当に驚きました。しばらくの間、私が日本にいたことを証明するためにパスポートを持ち歩き、地元の事務所には子どもたちのパスポートを置いて、いつでも閲覧できるよう手配までしました。

──33歳で始めたという不妊治療の体験を赤裸々に告白されています。

 29歳の時、弁護士だった父の友人の紹介でお見合い結婚をし、大好きだったキャビンアテンダントの仕事を辞め、右も左も分からないまま「衆議院議員の妻」として政治の世界に飛び込みました。実は、ほとんどデートもしないままでのスピード結婚だったんです。だから数年は忙しい夫との2人の生活に慣れること。何より「選挙」に慣れることで精いっぱい。人工授精から始めた治療はうまくいかず、体外受精を選択。けれども「習慣性流産」という状態が2年続きました。治療を受けている4年間は「自分は劣っているかも」と劣等感がつのる日々でした。不妊治療を巡り夫と朝まで大ゲンカしたことも隠さず書いたのは、不妊に悩む女性に対する根強く冷たいまなざしが変わってくれたらいいと思ったからです。

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