鴻巣:70年代には解離性同一性障害を、80年代後期には学校のいじめに対するトラウマというのを描き切っています。そして85年に『侍女の物語』。アトウッドって20、30年早すぎるところがある。『昏き目の暗殺者』を最初に私が訳したのが2000年です。マイノリティー、貧者、女性、移民、子どもに対する抑圧・搾取・暴力が重層的に暴きだされる構造で、当時これを読んだときはどこかおとぎ話でした。だけど今読むと「うわー」って思います。

松永:『カステラ』のパク・ミンギュも好きです。弱者の立場から描く作品が多くて。短編には村上チルドレンっぽい要素もあります。日韓関係が悪いと言われていますが、文学はたくさん紹介されていますよね。

鴻巣:竹島とか尖閣諸島で中韓とすごく関係が悪くなったのが2012年。自公政権になり、翌年、韓国は朴槿恵(パク・クネ)政権になります。振り返ってみると、12年は大きな岐路でした。

松永:震災の後でしたし。日本もその頃に教科書に竹島を日本固有の領土と記載しました。

鴻巣:これはよそでも書いたことですが、その時から反比例するかのように中国と韓国の翻訳文学が伸びているんです。文学ってたくましい。日韓関係がどんどん冷え込んでヘイトスピーチが増えていく中、反比例して席巻している感じ。いま世界で流行(はや)っている文学って反動から来るものが多いでしょう。英米ならディストピアとフェミニズムが合体してフェミニズムディストピアみたいな。そういうジャンルが誕生したように翻訳文学って社会の鏡みたいなことがあって正直なんですよね。

松永:中韓と日本の関係が冷え込んでくれば、むしろ文学は豊かになっていくという。

鴻巣:常に時代に逆らって、常に当たり前の言語表現というのに抵抗していくのが翻訳文学なので自浄作用があるのかも。誰かが言っていたんですが、「今こそユーモアとアイロニーが試される時代」だって。私、持論としては翻訳で一番抜け落ちちゃうのがユーモアとアイロニーだと思っているんです。なかなか伝わらないんですよ。

松永:確かに。

鴻巣:と考えると、今こそ本当に翻訳文学が試されている時代なんだろうなって思っています。

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2019年10月21日号