「年金問題など先進国の社会・産業の構造からみて『いろんなことの先細り』が不可避であるのが若い世代にも明白に見えていて、だからこその『やり場のない憎悪』と言えるのでは」

 そしてそのことは、若年層の「ある傾向」とも密接につながっている、とマライさんは言う。

「生徒と話していると『どうせ私たちはゆとり世代。期待されてない』などと諦めている感じです。ワクワク感、希望のなさを感じます」

 諦めからのやり場のなさ。加えて、若者は成長や達成をウソだと見抜いていると、マライさんは指摘する。

 若い世代と高齢者憎悪との関係を、別の角度から指摘する人がいる。社会学者で筑波大学教授の土井隆義さん(59)だ。

「世代間闘争」という言葉が盛んに使われたことがある。1960年代から70年代にかけての学生紛争の時代。そこから80年代にかけては、10代、20代の若者と、30代以上の大人との間に「分断線」があった時代だと、土井さんは言う。

「70年代、80年代の日本社会は成長期の真っただ中。その頃の大人の若い時と、当時の若者が迎えていた社会状況は大きく違っていた。その間で社会が成長していたからです。結果、価値観の大きなギャップが生まれ、学生紛争や世代間闘争のバックグラウンドになっていた」

●若者と大人の間にあった分断線が上昇した

 やがて政治の季節は終わり、世代間闘争という言葉も消えていった。その時期と、90年代に入りずっと右肩上がりだった日本のGDPが横ばいに転じ、社会の成熟期に入っていった時期とがほぼ重なっているという。

「そこから20年が経ち、たとえばいまの30代が成長してきた頃の社会状況と、いまの10代、20代の現在とでは、社会状況は横ばいの成熟期のまま。あまり違ってはいないので衝突がないんです。若者と大人が価値観をほぼ共有できてしまう」(土井さん)

 つまり、若者と大人との間にあったはずの分断線が、消えた。では、社会から分断線はなくなったのか。

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