記者会見で社員に指示を出す吉本興業の岡本昭彦社長。ダウンタウンのマネジャーなどを経て19年6月21日から現職/7月22日、東京・新宿 (c)朝日新聞社
記者会見で社員に指示を出す吉本興業の岡本昭彦社長。ダウンタウンのマネジャーなどを経て19年6月21日から現職/7月22日、東京・新宿 (c)朝日新聞社
寄席から始まった吉本興業百年の歴史(AERA 2019年8月5日号より)
寄席から始まった吉本興業百年の歴史(AERA 2019年8月5日号より)

 芸人の“闇営業”に端を発した一連の問題で、吉本興業の対応が批判されている。“ファミリー”を強調する吉本興業とはどのような組織なのか。

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 一連の“闇営業”問題で、吉本興業がついに記者会見を開いた。宮迫博之さんと田村亮さんが開いた緊急記者会見が喚起した世論に押された形だが、起死回生の一手とはならなかった。

 大阪天満宮裏門の寄席経営から始まった吉本興業は、創業107年。幾度かの浮沈を経て今や数々の国家的プロジェクトにも関わる。現在の躍進の原動力となったのが会長の大崎洋氏だ。

 大崎氏は設立間もない「吉本総合芸能学院」(NSC)で1期生のダウンタウンを見いだし、大ブレークを支えていった。江戸川大学教授(大衆芸能史)の西条昇さんはこう語る。

「ダウンタウンがメジャーになってからは、若者が彼らに憧れてお笑いの世界を目指すようになり、東京でも笑いの中心になった。そこで大崎さんの果たした役割は大きかったし、これがなかったら吉本興業の今の展開はなかったと思います」

 NSCは「弟子入り」という修業を行わなくても芸人になる道を作り、吉本にとっては授業料収入が確保され、新規芸人の発掘の場ともなった。

 もう一つ、吉本が大事にしているのが劇場だ。宮迫さんも謝罪会見で吉本が他の芸能事務所と違う点として「劇場を沢山持っている」と発言していた。

「他事務所との決定的な違いは、芸能事務所としてではなく寄席の経営から始まったということです。儲からない劇場を維持しつつ、劇場で育った芸人をメディアで売っていくという作業をずっとしてきた」(西条さん)

 自前の劇場で大量の芸人を鍛え、使えそうな芸人を即戦力としてテレビに送り込む──。漫才ブームを吉本が制することができたのも、劇場から芸人を途切れることなく供給できたからという見方もある。

 大崎氏が2009年に社長に就任後、決断したのが“上場廃止”だ。09年に株式公開買い付け(TOB)を実施、10年1月の臨時株主総会でTOBに応じなかった少数株主の株を強制的に買い取るための定款変更議案を成立させた。個人株主の一部は議案提案の差し止め訴訟も起こしたが、2月末に上場廃止となった。この上場廃止について、大崎氏は本誌のインタビューにこう答えている。

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