ピチカート・ファイヴのリーダーとして一世を風靡し、解散後も多彩な活動を続ける。小西康陽が出した新著は、不思議な吸引力に満ちている。どんな思いで、つづったのか。
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<きのう、わたし死んでしまったの>
こんな書き出しで始まる追悼文があったら最後まで読まずにはいられない。さりとて最後まで読みとおしても、追悼される人の名前は出てこない。こんなこと、あっていいのだろうか? 文章の真ん中に、ぽっかり穴があいているような。
バンド、ピチカート・ファイヴなどで知られる小西康陽(60)の新著『わたくしのビートルズ』(朝日新聞出版)は、小西が1992年から2019年まで書きためた文章を集めた「ヴァラエティ・ブック」。コラム、レコード評、映画評もあれば掌編もある。「自分の原点はビートルズだったんだな」と述懐しつつ選曲した計13曲の「ビートルズ・マイ・ベスト」も収録された。
本は厚いが、原稿は短い。「(原稿用紙で)5枚以上の文章を書けないんです」と小西が言うとおり、読み手に負荷をかけない。すぐ読める。
でも、すぐ分かるとは限らない。ジャンル分けできない。これは小説ですかエッセーですか批評ですかと、問うのも無粋な問いをすれば、「ゲーム」なんだと答えが返ってくる。
「吉行淳之介さんや芥川比呂志さんの文章、なんてうまいんだろうと思う。きっと書きたいことなんかないんだろうなと。編集者に頼まれたから書く。原稿用紙を埋めなきゃいけないゲームと思っているみたい。ぼくも完全にそうですよね」
ゲームである以上は自分に課したルールもある。「まずは、媒体にそぐわないものは書かない。第2には、口当たりのよいものを書く。ソフトで、心地よくなる、甘ったるいような。自分の音楽と似ている」
どこまで本気か混乱するが、意地の悪くない笑みだった。
<パリの「ラデュレ」というサロン・ド・テに初めて行った><ブリュッセルの中古レコード店でお薦めを何枚か試聴していると……><ここのカスタード・プディングは日本一美味しいと思う>