そんな「ロスジェネ世代」の男性の横を、経営する側に回った同年配の男性たちがベンツやBMWに乗って通り過ぎていく。「平成は、格差社会を通り越し、階級社会に入った」と男性は言う。

 平成が幕を開けた年、バブル経済は最後の絶頂を迎えた。10月、三菱地所が、米国の象徴ともいわれたロックフェラーセンターを買い、12月に日経平均株価は史上最高値の3万8915円をつけた。株価の急落が始まった翌90年にも「豊かな日本」を誇るかのように金粉入りの口紅が売り出され、91年には伝説のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしてラメ入り衣装の女性たちが「お立ち台」で踊りまくった。まさに「金ピカの時代」だった。

「日本の経済は世界一」という高揚感の中で、米国の社会学者、エズラ・ボーゲルが79年に出版した著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のタイトルが繰り返された。だが、当のボーゲルの意図は異なっていた。

 ボーゲルは後の10年1月の朝日新聞のインタビューに対し、「僕がナンバーワンと言ったのは、経済が一番大きいという意味ではなかった」「義務教育の水準、会社への忠誠心、長寿であることなど多くの点で世界一で、その日本から米国は学ぶべきところがあるという意味だった」と語っている。ここでは元駐日米大使のエドウィン・ライシャワーの「あの本は米国では読むべきだけど、日本人は読むべきじゃない」という言葉も引用して日本人の慢心を戒めている。

 80年代、レーガン政権下の米国では、新自由主義が隆盛を極めていた。実は、ボーゲルの本は、そんな市場原理主義と規制緩和の中で格差と貧困が広がっていた当時の米国への警鐘として、「一周遅れ」ゆえの日本の長所を指摘するものだった。

 また、知日派で知られた英国の社会学者、ロナルド・ドーアも英国のサッチャー政権の新自由主義政策と対比し、「平等的な、社会連帯意識の高いこと」を誇る日本を評価している。それが、対日貿易赤字解消を目指す米国政府からの内需拡大と規制緩和へ向けた「構造改革」要求で変質し、「富と権力を誇る日本」に変わった、と14年に出版した自著『幻滅~外国人社会学者が見た戦後日本70年』で残念がった。

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