「格差」の視点で平成を振り返る 転換点はどこだったのか (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「格差」の視点で平成を振り返る 転換点はどこだったのか

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竹信三恵子AERA
働く人であふれる東京・渋谷の交差点。働く人々の5人に2人近くが低賃金と不安定な契約で生計を立てる非正社員となり、「一億総中流崩壊」の契機となった/2016年2月(写真:gettyimages)

働く人であふれる東京・渋谷の交差点。働く人々の5人に2人近くが低賃金と不安定な契約で生計を立てる非正社員となり、「一億総中流崩壊」の契機となった/2016年2月(写真:gettyimages)

 平成は、バブル景気が頂点を迎え、日経平均株価が最高値をつける「金ピカの時代」に幕を開けた。だが、この時代は、「一億総中流」と言われた戦後社会が「格差社会」へ転換し、「貧困」が日常となる時代でもあった。ジャーナリスト・竹信三恵子氏がリポートする。

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 平成が始まった1989年の春、世の中はバブル景気に沸いていた。東京都内に暮らす男性(43)は当時、神奈川県内にある中高一貫の私立中学で2年生になり、4月に発売された任天堂のゲームボーイに熱中し、「経済大国日本」での「なんとなく大丈夫」な将来を思い描いていた。だが、平成は、そんな予想を次々と裏切っていった。

 将来は飲食店の経営をしたいと2浪して入った私立大学では、管理会計を学んだ。だが、卒業した2001年、社会は就職氷河期だった。就職できず、フリーターになった。正社員が当たり前の時代を生きてきた団塊世代の両親に「なぜ正社員にならないのか」と何度も言われ、120を超す会社の面接を受けた。だが、99年の労働者派遣法の改正で派遣がほぼすべての業務で解禁され、男性が見つけることができたのは派遣会社の契約社員だけだった。

 06年、やっと見つけた正社員の口も派遣会社だった。「正社員だから」と、休んだ派遣スタッフの穴を埋めて使い回され、過労から体調を崩して退職した。だが生活費に困り、別の派遣会社で派遣スタッフとして働くしかなかった。

●年齢の壁で派遣契約も切れ、三つのバイトをかけもち

 どの働き方でも、フルタイムで働いて年収は額面200万円前後。交通費は自前だから、現場が遠いほど手取りは減る。派遣は携帯電話やスマホがないと仕事の連絡さえ受けられない。そのための月7千円程度の通信費も自己負担だ。家賃節約のため実家で暮らしたが、それでも貯蓄はできない。

 生活費を稼ぐことに追われて資格を取る時間も確保できないまま、何年派遣で働いても転職の際にはキャリアとして評価されず、一般の会社への正社員転職は難しくなるばかり。派遣のアリ地獄だった。18年には年齢の壁で、その派遣契約も切られ、三つの職場でかけもちのバイトをしながら平成の終わりを迎える。


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