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マキタスポーツ「『誰も傷つけない笑い』はユーモアといえるのか?」

連載「おぢ産おぢ消」

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マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。新刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。新刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)

イラスト:大嶋奈都子

イラスト:大嶋奈都子

「誰も傷つけない笑い」という標語がお笑いの内外でも言われる様になったのはいつ頃からか。基本、プロのお笑い世界は、フラワーロックじゃないが、“ウケる方”に体を向ける。つまり「マーケットが判断する」に従うのだ。私が多感な時期を過ごした1980~90年代は、乱暴で、不親切で、人を傷つける笑いが全盛であったし、またそれに多くの影響を受けた。でも、今にして思えば、その時期が明らかに、一部の圧倒的才能により磁場が狂っていたのであり、今の時代の方がまっとうなのかもしれない。景気の良かった時代に流行る笑いと、景気の悪い時代に流行(はや)る笑いは当然違う。安定しているのはモノマネぐらいだろう。

「誰も傷つけない笑い」というユートピアがあると思ってたけど、本当は違って、ディストピアな現実だから「悪意」の笑いが弾かれるのかもしれない。だとしたら人の悪意はどこへ行くのだろう。やはりネットの中でのみ消費されるのか。オンライン上も良いけど、でも、リアルな板の上でもそれをやると引かれるのは困ったものだ。

 話は変わるが、「モッツァレラチーズゲーム」というものをご存じか。複数の人間が時計回りで順番に「モッツァレラチーズ!」を言っていくこのゲーム。ルールはシンプルで、前の人よりテンションを高くそれを言うだけ。最初に始めた人より後ろに行くほど言い方をエスカレートさせなければいけない。このゲームがユニークなのは、ジャッジの基準が不明確な点にある。

 最後にきた人は手詰まりになり結果罰ゲームをするということだが、私はこのゲームの本懐は「人を傷つけない」にあるように思っている。ただただくだらなく、この皆がだんだん無意味に狂乱して行くことが目的なのだ。山手線ゲームにあったような構造的な蔑(さげす)みや、知識量もいらない、それによって生まれる優劣からも距離を置いているナンセンスなゲーム。これを生んだ世間に、ピリオドの向こう側じゃないが、ユーモアの崖の向こう側を感じる。落ちてるのにヘラヘラ笑っているような不気味さだ。

AERA 2019年3月18日号


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マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

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