それから少しして、伊藤さんは全壊した自宅から鯉のぼりを見つけた。律君は青い鯉のぼりが大好きだった。こどもの日が近づくと、鯉のぼりを飾るのが家族の恒例行事。

「黒がお父さん、赤がお母さん、青が僕」

 律君はそう言って、青い鯉のぼりを嬉しそうに指さしていた。伊藤さんは泥だらけになった鯉のぼりを洗い、自宅前に飾った。

「天国の律が寂しくないように。そして自分が前へ進むための道しるべとして」

 そんな願いを込めた。

 伊藤さんは震災で、律君のほか母と祖父母を亡くしている。律君と再会し、鯉のぼりを掲げたあとも3人は見つからなかった。そんなつらい状況でも、日々は目まぐるしく過ぎていく。3月も終わろうとするころ、律君に火葬の番がきた。

「律の顔が腐敗して、茶色く膨れていくのを見るのが忍びなかった。ようやく安心できました」

 母と祖父母はまだ行方不明だったが、律君を火葬したことで少し心に余裕ができた。奇しくもその夜、避難先には被災後初めて電気が通った。伊藤さんは、憧れていたプロの和太鼓集団にメールを送った。

「復興コンサートを開いて、自分と一緒に太鼓を打ってほしい」

 伊藤さん自身、何年も太鼓を習っていた。一緒に演奏できたらきっと律君に聞こえるし、自分にとっても力になる。返事をくれた音楽プロデューサーの千葉秀さんと会い、思いを伝えた。千葉さんは快諾し、青い鯉のぼりを空に掲げてその下で演奏することを提案してくれた。律君や、震災で亡くなった子どもたちみんなに鎮魂の思いを届ける。心に湧き上がるものがあった。

 伊藤さんと千葉さんを共同代表に「青い鯉のぼりプロジェクト」が発足。全国から青い鯉のぼりを募った。多くの人が目を留め、共感した。集まったのは二百数十匹。5月5日、伊藤さんの自宅前に掲げ、思い切り太鼓を打った。そのころには母と祖父母の遺体も見つかっていた。

「家族で過ごした時間を思い出した。希望も感じました」

 それから8年。復興工事に伴い、開催場所を移したが、プロジェクトは今も続く。途中息切れすることもあった。進学で東松島を離れ、取り組んでいたバンド活動も多忙に。それでも、代表として自分が引っ張らなくてはと余裕がなくなった。メンバーの声に助けられた。

次のページ