「ここなら、できることがあるんじゃないか」

 今はグッズショップを担当。レジに立ちながら新商品の企画にも携わる。石巻に人を呼べるような企画を考えたいという。

 そして、語り部活動も始めた。県外から来る大学生や、小・中学生など若い世代を相手に被災経験を話す。聞き手のなかには震災の記憶がない人もいる。伝えるって難しい。そう痛感するが、日々模索しながら活動を続けている。伝えたいのは、ポジティブに生きること。

「震災の悲惨さや防災なら、詳しい人がたくさんいます。だから僕は、被災しても明るく生きていることを伝えたいんです」

 石巻に戻ってきて、街のために働くたくさんの人に出会った。

「今まで知る機会もなかったけれど、これだけの人が石巻のことを考えている。すごいことだと思います」

 自分もそのひとりとして、街の活性化のために力を尽くす。

 阿部さんのように10代で震災を経験した若者は、岩手・宮城・福島の3県だけで約56万7千人(10年の住民基本台帳人口要覧から)。8年が経ち、その多くが成人を迎えた。避難生活でやむを得ず、あるいは就職や進学で街を離れた者も多い。一方で、あの日の被災体験を胸に故郷の復興に奔走する若者たちがいる。震災後の街づくりを担うのは、若い世代だ。

 毎年5月5日になると、宮城県東松島市の大曲浜にたくさんの青い鯉のぼりがはためく。鯉のぼりの下では勇壮な太鼓の演奏があり、出店も並んで活気にあふれる。いまや東松島を代表する行事になったこの催しは、11年から毎年続く。

 震災当時高校2年生だった伊藤健人さんが、遺体安置所で5歳の弟・律(りつ)君を見つけたのは発災3~4日後のこと。眠っているかのようなきれいな顔だった。ひと回り年の離れた弟で、憎たらしいと感じたこともないくらいかわいがっていた。

「亡きがらをみても現実とは思えなかった。隣で父ともうひとりの弟が泣いているのを見て、ようやく本当なんだと理解しました」

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