●自分たちの国は自分たちで守らねばいけない

 対する、右翼はどうか。日本の右翼は、明治政府の欧化政策に対する反政府運動から始まり、その後、対外強硬政策を求める国家主義の団体に成長した。戦後は「反共」を掲げ、60年代後半には新左翼が台頭したのに対抗し、民族派学生による「一水会」など新右翼が形成された。その後、さまざまな右翼が盛衰し、今目立つのはネットでヘイトをまき散らす「ネトウヨ(ネット右翼)」だ。かつての「右翼」を名乗る若者は少なくなっている中、正統派の右翼の青年に会った。

 関村勇希(ゆうき=21)。

「自分が一番強く思っているのは、なぜ他国の軍隊がわが国に駐留して、自衛隊が一緒になって防衛を担っているのかということです。自分たちの国は自分たちで守らなければいけない」

 眉毛を剃(そ)り、髪はソフトモヒカン。一見するとイマドキの若者だが、高校2年の時に「右翼の現場」に飛び込んだ。きっかけは高校1年の時、地元・JR蒲田駅前(東京都大田区)で右翼の街宣車を見たことだった。

「格好いいなと思ったんです」

 蒲田駅で街宣している右翼の様子を自分のツイッターにアップするようになると、ある大手右翼団体からツイッターを通じ誘いの連絡が来た。迷いもなく入会。家族にも伝えたが、反対されなかった。高校卒業後は右翼活動家としての道を選んだ。ある大手右翼団体が併設する出版社に「就職」し、事務などを手伝った。2年後、尊敬する先輩活動家が設立した右翼団体に移籍。それが今の「花瑛塾(かえいじゅく)」だ。同塾は16年に結成された団体で、塾生は約30人。年齢は17歳から39歳までで平均年齢は22歳と若く、女性も4人いる。

 同塾は戦前の右翼の考え方を継承し、綱領に「神道信仰と神道精神」を掲げる。日米安保体制と対米従属の見直し、核のない世界の実現を主張。月に2回の自民党本部などでの街宣活動をメインにしている。活動費はすべて持ち出し。関村も、普段は産業廃棄物の会社で働きながら活動費を捻出する。

 日本人として何が正しいか、勉強し考え続けてきた。今、関村の視線は沖縄にも向いている。17年1月、ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設で注目された沖縄県東村高江に初めて塾の先輩と一緒に行った。米軍ヘリが不時着した牧草地を見、地元の人と話をした。他にも新基地建設で揺れる辺野古も含め、これまで沖縄を3回訪れた。その中で、今の活動を続けなければいけない思いを固めたという。

「生き物たちも多いところの木を切り、そこにヘリパッドを造るというのはいかがなものか。在日米軍の撤退と自衛隊がどうあるべきか訴えていきたい」

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