稲垣えみ子「50を過ぎると、人はいつ死ぬか分からないというリアルが身にしみる」 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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稲垣えみ子「50を過ぎると、人はいつ死ぬか分からないというリアルが身にしみる」

連載「アフロ画報」

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稲垣えみ子AERA#稲垣えみ子
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行

「お姉ちゃん」が好きだった西城秀樹さんも亡くなりました。一家揃って歌番組を見た時代(写真:本人提供)

「お姉ちゃん」が好きだった西城秀樹さんも亡くなりました。一家揃って歌番組を見た時代(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【一家揃って歌番組を見ている「ちびまる子ちゃん」のイラストはこちら】

*  *  *
 さくらももこさんが亡くなった。53歳。同い年である。もちろんお会いしたことはないのだが、漫画家の友人がいたせいで「ちびまる子ちゃん」の面白さには早くから注目していた。同時代を生きただけに、その昭和的平和な世界は私の故郷であった。なのでその作者にも、勝手に同級生のような感覚を持っていた。

 その人が亡くなってしまった。

 人はいつ死ぬかわからないとはよく言うけれど、それは理屈で、リアルに実感することは簡単じゃない。でもこの年になってくると、自然にそのことが身にしみる。

 これまで何人の身近な人が亡くなったろう。新聞記者という激務のせいだろうか。親しかった会社の同期も後輩も先輩も次々と亡くなった。最初のうち、それは若すぎる死であり驚きであり受け入れがたい悲劇であった。でも次第に、それが寿命だったのかもしれないと思う死が増えてくるのである。そうすると、いつ自分の番が来てもおかしくないと考えざるをえない。

 50歳で「人生の折り返し」を意識して会社を辞めたのも、そのような体験が影響しているのだと思う。人生は永遠に続くわけじゃない。そろそろ自分に与えられた持ち時間をどう使い切るのかを考えるべきなのだ。そう思うと、大切なものの優先順位が変わってくる。それは決して敗北主義なんかじゃない。私は、あれも欲しい、これも欲しいとばかり思っていた日常から脱出することができた。この価値観の転換を「第二の人生」っていうんじゃないのかな。

 もし明日死ぬとしたら、今日何をして過ごすのか。よくある質問だ。

 でも50を過ぎたら、毎日自分にその質問をして過ごすべきなのだと思う。

 で、私は今日何をするのかって? 朝起きて、ヨガをして、ご飯を作って食べて、書けない原稿をうんうん唸って書く。あとピアノの練習。できれば親に電話もしたほうがいいね。それが私にできること、やらねばならないことの全てである。そう言い切れる今の自分を少し誇りに思う。

AERA 2018年9月10日号


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稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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