13日午後、翁長雄志沖縄県知事の告別式には大勢の参列者が詰め掛けた (c)朝日新聞社
13日午後、翁長雄志沖縄県知事の告別式には大勢の参列者が詰め掛けた (c)朝日新聞社

 沖縄県の翁長雄志知事が死去した。享年67。「辺野古新基地建設反対」の公約を最後まで貫いた生粋の保守政治家の遺志は継がれるのか。

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「基地問題を具体的に解決に導かなければならないという強い使命感があった」

 翁長知事の思いをこう代弁するのは、沖縄県嘉手納町の町長を1991年から5期務めた宮城篤実氏(82)だ。2014年の知事選で翁長氏の支持母体となった「ひやみかち・うまんちゅの会」の会長を務めた。

 沖縄の保守本流の政治家一家で育った翁長氏。政治家としてのキャリアの集大成の選挙に臨む際、頼りにしたのは町面積の8割超を米軍基地が占める「基地の町」で長年自治を担った宮城氏だった。

 2人が最後に対面したのは昨年のこと。翁長氏は夕日が映える沖縄本島西海岸のリゾートホテルに宮城氏を呼び出した。がん再発の告知を受ける前の翁長氏は、3時間でワインを1本空けた。思い出話に花が咲いた。

 2人には忘れ難い場面がある。05年12月、那覇市長だった翁長氏は、硫黄島(東京都)の自衛隊基地を視察後、記者会見を開き、普天間飛行場の同島移設を提起した。このとき翁長氏から同行を請われた宮城氏は、現実的ではない、と拒んだ。

 翁長氏は当時、どんな思いだったのか。08年の筆者の取材に翁長氏は「沖縄の運命みたいなものが頭越しに決められていくこと」への強い焦りを吐露した。

「ただただ受け身のままで米軍再編が進むのは見ておられなかった。県民が少しでも主体的にかかわったことを残しておかないといけない、沖縄の将来の米軍基地の在り方に一石を投じられないか、との思いがありました」(翁長氏)

 日米政府が05年10月に発表した米軍再編「中間報告」で辺野古沖を埋め立てる従来案が一方的に破棄され、地元の頭越しに現行案に変更された。これに伴い、稲嶺恵一知事が98年の知事選公約で県内移設の容認条件に掲げた「15年使用期限」なども反故にされた。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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