■加害者と被害者の境界線があいまいに

 戦時中、住民が軍事的組織の中で大事な役割を果たしていることもあった。長年、沖縄戦を取材してきた三上監督は、以前からその事実にたどり着いていたが、発信はせずにいた。虐殺に関わった当事者の住民が、存命だったからだ。当事者が亡くなりつつあり、証言者が生きている今、報道に踏み切った。

「村のためだと言いながら、軍とつながったほうが結果的に有利になる側面もあるし、自己保身にもなる。でも軍に協力する中で、悪気がなかった言動が、後になってみれば村や仲間を売った形になり、悲劇を一生背負うはめになった人もいます。戦争中の極限状況にあった人の罪を私たちが今指摘するのはおかしいと思う半面、そこから学ぶこともしないなら、犠牲になった人が報われないとも思う。いつもそのせめぎ合いなんです」

 沖縄では民間人が戦闘に巻き込まれている。被害者である一方、知らない間に加害者になり、人を殺していた現実もあった。それが一番怖いことだと三上監督は言う。

「一体どんな集団狂気に陥ったら、一番大事にすべき地域の人の命を奪う側になってしまうのか。人間が抱えている原罪は、戦争のときに突出してしまう。仲間を見殺しにしたり、上官の命令で少年を処刑したり、住民虐殺を手助けしてしまった事実が物語っている」

 今、約2年に1本のペースで映画を制作しているのは、時代がそれだけ速く動いているからだと三上監督は言う。

「戦争の恐ろしさ、暴力に支配されたら人間の集団はこうなるという、なれの果てを描いています。もうこのことに触れたくない、という人も当然多い。でもこの教訓を次の不幸を止めるために使わなければ、被害者は二度殺されるようなものだと思っています」

(AERA編集部・小野ヒデコ)

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