はた・もとひろ/1980年生まれ。「3・11」を機に、ミュージシャンとして音楽で何ができるのか考えてきた。「音楽で少しでも気持ちが上向いてくれたらいいな」(撮影/岸本絢)
はた・もとひろ/1980年生まれ。「3・11」を機に、ミュージシャンとして音楽で何ができるのか考えてきた。「音楽で少しでも気持ちが上向いてくれたらいいな」(撮影/岸本絢)

 3月28日、仙台サンプラザホール(仙台市)で開かれた「復興支援音楽祭 歌の絆プロジェクト」(主催・三菱商事、東日本放送、朝日新聞社)。歌の力で被災地を応援するこのイベントで、被災地の高校生と合唱したシンガー・ソングライターの秦基博(はたもとひろ)さんに心境、震災後に起きた意識の変化などを聞いた。

*  *  *

──世代も違う高校生たちとのコラボレーションでした。

 100人近い規模での合唱は初めて。声の重なりですごい迫力になると思っていたけど、実際に高校生たちの歌声がすてきでした。普段は一人で作った曲を一人で歌っていますが、合唱を通じて同じ時間を共有し、みんなで一つのものを生み出すことができたと思います。

──「ひまわりの約束」の大合唱は可能性を感じました。

 ステージに立つまでは、この曲がどのような表情をみせるのか僕自身予想もつきませんでした。だけど、高校生の歌声が重なることで、いろいろな表情、景色が生まれた。この日限りの特別な「ひまわりの約束」になりました。

──東日本大震災の前と後で、作り手として表現の仕方が変わりましたか。

「3.11」以降の社会というものが、つくる曲におのずと入ってきました。特に歌詞ですね。例えば「明日」という言葉一つとっても、持つ意味が変わったと思うんです。「ひまわりの約束」をつくったのは震災後の2014年。意識的に変えた部分はないのですが、そんな社会の影響はあると思います。

──震災の記憶が風化する中、復興のためにやっていきたいことは?

 音楽って非日常を与えるもの。音楽で非日常を感じ、日常に向き合う気持ちをリフレッシュさせたり楽にさせたりする効果があります。音楽自体が何かを変えるというより、音楽を聴いた人の何かが少し変わって、その人が何かを変える。そういうきっかけを与えられる曲をつくって、被災地を応援していきたい。

(編集部・野村昌二)

AERA 2018年4月16日号

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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