明治神宮に隣接する神社本庁。神社界が戦後再出発した象徴だったが(撮影/写真部・小原雄輝)
明治神宮に隣接する神社本庁。神社界が戦後再出発した象徴だったが(撮影/写真部・小原雄輝)

 渦中の富岡八幡宮から、全国の神社を統括する神社本庁と所属する神社との間にトラブルが続発していたことなど、神社界が抱える問題が浮かび上がってきた。雑誌「宗教問題」小川寛大編集長に寄稿していただいた。

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 まったく“どっちもどっち”としか言いようがない。

 12月7日に発生した富岡八幡宮(東京都江東区)での宮司殺害事件。事件の構図としては、2001年に宮司を辞めさせられた元宮司・富岡茂永が、現宮司で姉の長子への逆恨みを募らせて起こしたものというもので間違いがない。

 宮司時代の茂永の豪遊ぶり、女性関係の乱脈ぶりなどは昔から地元や神社界では有名で、彼が名門・富岡八幡宮の宮司にふさわしくない人物であったことは事実である。ただ今回の事件後、報道などで明らかになっていったことは、姉の長子にしても高級飲食店やホストクラブで日常的に遊び歩くなどの顔があったということだ。「(長子の)神職としての知識や手腕は怪しく、向上もあまり見られなかった」(神社界関係者)という証言さえある。もちろん事件そのものに限って言えば、加害者である茂永に100%の非があるわけだが、げに恐ろしきはここまで人を狂わせる富岡八幡宮の財力という感がある。

 長子が先代宮司であった父から富岡八幡宮の後継者に指名されたのは10年のこと。しかし全国約8万の神社が所属し、その宮司の任命権を持つ神社本庁は長く彼女の正式な宮司就任を認めず、「宮司代務者」の地位に留め置いていた。それに長子はしびれを切らし、17年9月に神社本庁を脱退。どこの所属でもない「単立宗教法人」となり、その上で正式な宮司に就任していたという流れがあった。

 富岡八幡宮ほどの名門神社のトップが、7年にわたって不在だったというのは異例、異常としか言いようがない。しかしある神社本庁関係者は「殺人事件にまでなったことは非常に残念だが」とした上で、「長子さんの素行に関する悪い噂は聞いていた。また富岡八幡宮を追い出された茂永さんが、未練をもって長子さんに脅迫まがいのことをしかけていた事実も把握していた。こちらとしては、正式な宮司就任は“自分の頭の上のハエを払ってから”にしてほしいという考えがあった」と話す。

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