妻にとっては「子どもを見ているよりマイペースでできる家事は100倍も楽」だったのだ。ああ、夫よ。子どもを連れて公園にでも行ってくれればいいのに――。

 こうした妻の殺意は、普段は隠れていても、ふとした会話に垣間見える。ある女性医師(30代)が「うちの主人はよく料理を作ってくれて、SNSでも評判みたい」と夫の顔を立てるのは表向き。話をするうち、「主人」が「あいつ」に変わっていく。

「週末だけなら、そりゃあ凝ったものを作れるでしょ。毎日作っていれば、いちいちSNSに写真なんてアップしてられないから! 友達に褒められて、あいつ、いい気になって」と、怒り心頭のご様子。その女性は、産後は当直ができないことでパート医師にならざるを得ず、「第一線から離れ、学会発表する機会もなくなった。あいつは男というだけで、キャリアを積める」と納得いかない。

 今でこそ「働き方改革」も医師の世界に押し寄せるが、医師の労働実態は旧態依然としている。常勤であれば「妊娠や育児で当直ができません」とは言いづらく、やむなく非常勤になるなどキャリアを断絶させられる女性は少なくない。

 筆者が『夫に死んでほしい妻たち』(朝日新書)を上梓すると、女性医師の集会で著書のタイトルそのままのテーマで講演依頼を受けた。50~70代の女性の医師も男社会で生き抜いているだけに恨みは根深い。質疑応答では、「育児や家事は男性も同じようにすべきだ」「私も何度、夫に死んでほしいと思ったことか」という声が次々とあがった。

 看護師夫婦の妻も「自分は夜勤明けで疲労困憊していても子どもを見ているのに、夫の場合は堂々と寝ている」と、夫の寝顔を見ると殺意を抱くという。医療関係者が「夫に死んでほしい」と頭をかすめる姿を想像すると、洒落(しゃれ)にならない。

 そして、殺意を超えた怨念ともいうべき凄みを見せるのは、美容師の熟年妻だった。妻(60代)は、「夫と同じお墓には絶対に入らない。あの人の遺骨は、山手線の網棚に忘れたふりして置いてこようか」と考えている。

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