「どんな言葉がいいか、ずっと悩んでいた。総理の胸に迫る最も厳しい言葉にしようと考えて、あの発言になった」

 多くの被爆者は、川野さんと同じ気持ちだった。広島県原爆被害者団体協議会副理事長の箕牧智之さん(75)は言う。

「なかなかの度胸がないと言えないことだから、よくぞ言ってくれたと思った。気持ちを代弁してくれた」

 箕牧さんは、今年6月の核兵器禁止条約の交渉会議を国連本部で直接傍聴した被爆者の一人。日本が参加しなかった交渉会議の議場には、「JAPAN」と表示された席だけは用意されていた。誰も座ることがない日本の席に近づいた箕牧さんは、そこに広島から持ってきた折り鶴を置いた。日本政府に対する「静かな抗議」の表明だった。

 これまでの核廃絶をめぐる国際社会の動きは、核保有国が所有する核兵器の数を段階的に減らしていく核軍縮と、非保有国が新たに取得することを防ぐ不拡散の取り組みが中心だった。

 戦略兵器制限条約(SALT)や戦略兵器削減条約(START)、中距離核戦力(INF)全廃条約といった米ソ(ロ)の2国間交渉や、核不拡散条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)といった国際交渉を通じ、その時々の国際情勢で一進一退を繰り返しながら、核弾頭の数は確実に減っていった。1980年代の米ソ冷戦のピーク時には6万~7万発あったとされる核兵器はいま、1万5千発とも1万発とも言われるまでに削減されている。

●破壊力を知ったゆえに

 こうした流れには日本政府も積極的に関わった。広島、長崎両市、そして被爆者たちの核廃絶への思いも、核兵器の破壊力や殺傷力を世界各国に認識させる大きな推進力となった。

 一方で、その破壊力を知ったがゆえに、核兵器の保有こそが敵国に攻撃を抑止させる最善の安全保障策だとする考えが、国際社会に根を張った。核を持たない日本のような国は、同盟関係にある核保有国の核の傘の下に入ることで、核抑止力を間接的に手にした。抑止力を得るために、米ロ英仏中の核保有国以外でも、インドやパキスタンが核兵器を保有。公式発表はされていないが、イスラエルも事実上の核保有国。そして、いま北朝鮮も核兵器の開発を急速に進めている。

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