●呪いという最後の手段

 呪いという行動を、心理学的にはどう見ることができるのか。「呪いには、自己セラピー的な健全な要素も含まれる」と指摘するのは精神科医の春日武彦さんだ。

「呪いは多くの場合、秘密裏に行われる孤独な行為です。秘密を持つことをつらいと捉える人もいますが、ある種の優越感を感じる人もいる。呪いを行っているという秘密を持ちつつ普通に日常生活を送っている場合、そのことが本人に精神的余裕をもたらしているかもしれない」

 超自然的なものを本気で信じているとすれば、メンタルは不健康な方向に向かってしまう危険があるが、半ば迷信と自覚しているのなら、自分自身の怒りや恨みを客観視する契機になる、と春日さんは言う。

 最後に、呪いを信じる信じないにかかわらず、呪い文化が衰退することによって我々が失うものについて考えておきたい。前出の梅屋教授はこう分析する。

「法的に正当であれば、商売などで他人をとことん追い詰めてもいい、と考えるような人が増えましたよね。それは呪いが見えなくなったことで人々が謙虚さを失ったからでは。呪いが活発な社会では、人間の能力のキャパシティーを大きく見積もりますから、法的・経済的・政治的な力、つまり表に見えている力で優越したからといって、とどめを刺すようなことはしません」

 呪いという最後の手段が残っている限り、人は相手を正しく恐れることができる。呪いが隠し持っているある種のやさしさを、私たちはまた必要とし始めているのかもしれない。(編集部・高橋有紀)

AERA 2017年9月11日号