<なんでこのありさまなのか。機動隊員だってかわいそうだ。日本人よー。早く気付いてほしい。そうじゃないと近い将来、沖縄と同じ目に遭うよ>

 機動隊に強制排除された際、小指を5針縫うけがを負った女性(87)はこう嘆いた。

<私はね、死んで腐った人間が入った水を飲んで生き延びてきたんだよ。ここは沖縄だ。こんなばかなことをやるんだったら、その水の味を知ってから来い>

 この女性は沖縄戦のある夜、戦場で水たまりを見つけて渇きをいやした。翌朝明るくなり、その中に遺体が浮かんでいたことを知った。女性の行動原理は明快だ。

<今、ここで基地を造らせたら、沖縄にまた戦争が来たら、亡くなった人たちに申し訳が立たない>

 本書はほぼすべて実名で記されている。信頼関係がなければ成り立たない取材だ。この人たちを「活動家」と呼ぶのか、「市民」と呼ぶのかでイメージは大きく異なる。

 著者の視線は路上で異議申し立てをする人々にとどまらない。沖縄防衛局職員、受注業者、米軍兵士の声にも耳を傾ける。現場の「個」から、国家権力の本質と矛盾が浮き彫りになる。

 高江では取材中の記者が機動隊に一時拘束される事態も起きた。阿部はライバル紙の記者やフリーランスのジャーナリストとも心を通わせ、「現場記者」の思いをこうつづる。

<沖縄の山奥で起きるこういう現実を山奥に封じ込めさせないため、記者は足を運んだ。高江ではこの国のむき出しの権力、本当の姿が表れていた。それを記録し、有権者に判断材料を提供することが、民主主義を機能させるために欠かせない。警察までが中立の立場を放棄した後、第三者は私たち記者しかいなかった>

 基地反対派や地元紙を批判したり揶揄したりする「情報」が、驚くほどのスピードで「新鮮な切り口」あるいは「真実」として消費され、浸透している。

 著者とは別の元同僚から、最近こんなメールを受け取った。

「自分の書いた記事がヘイトの対象になり、ネットでは署名記事への辛辣な批判が並べられ、とても息苦しさを感じています」

 基地問題で沖縄に「糾弾」されるのも、基地反対運動に寄り添うばかりの定型化した「沖縄報道」もうんざり、という空気はネット上だけにあるのではない。反対運動にかかわる人たちを「識者」やタレントがテレビ番組で公然と嘲笑したり、政治家が批判したりする風潮がむしろ「定型化」した感すらある。本土で「沖縄」を発信するのはもっとハードルが高い、と元同僚に伝えても息苦しさは増すだけだろう。だから、容易に返信を送れないでいる。

 だが、阿部は「フェイク」に対しても現場取材で立ち向かっている。

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