事件の背景には、内部の複雑な人間模様のほかに、外国からの賓客にウケの悪い前衛作品の上演を苦々しく思う、政府上層部の思惑もからんでいた。

 ダンサーたちは、舞台上だけでなく、その裏で繰り広げられるドラマでも傷つき、葛藤を背負う。

 それでもボリショイは、ニーナ・アナニアシヴィリ、ガリーナ・ステパネンコ、アンドレイ・ウヴァーロフといった、バレエ史に燦然と輝くスターたちを輩出し続けてきた。

 岩田さんが言葉を継ぐ。

「現在のバレエは、形はより美しく、技術はさらに進化していますが、ボリショイでは、そこに心の表現という伝統を重ねます。完璧の、さらにその先の完璧を追求する精神は、いつの時代も不変のものとして、ボリショイに息づいています。実際、劇場にいると、『この建物は生きている……』と感じます」

 鉄のカーテン時代、ボリショイ・バレエ・アカデミーは、外国人に門戸を閉ざしていた。その扉が、徐々に開かれてきたのは、ペレストロイカが進んだ80年代後半から。モスクワ国立ロシアバレエ団でプリマを務めた千野真沙美さんは、88年に同アカデミーに留学した先駆けだ。

 今では、日本人留学生に向けたクラスがあるほど、ボリショイへの留学は一般化しているが、学校でただ一人、日本からの長期留学生として体験した現実は、シビアなものだった。

「アカデミーでは朝から晩までバレエ漬けです。そうやって鍛えられた生徒でも、ボリショイに入団することは夢のまた夢。たとえ入団できても、たいていは3年で限界を思い知らされます。ただ努力するだけでは、話にならないほど、ランクの高いバレエ団なんです」

 想像を絶する厳しさの中で、スターたちは、頂上に上り詰めていく。

 現在のボリショイで、女性プリンシパルの筆頭はスヴェトラーナ・ザハーロワだ。長い手足と、優雅この上ないプロポーション。表現力、テクニックとも折り紙付きで、「ロシアの至宝」と、最大級の賛辞を贈られる。

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