映画プロデューサー西村義明さんと、元「うたのお兄さん」横山だいすけさん。アニメーション映画と歌。それぞれの方法で人々を魅了する二人が、児童文学『飛ぶ教室』が好きという一点で意気投合。本誌での対談が実現した。そんな二人が、これから子どもたちに届けたいものについて、熱く語った。
※だいすけお兄さんが就任当初に歌えなかった歌とは… 西村義明×横山だいすけ対談よりつづく
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西村義明:映画はときに「何が悲しいか」という設定ばかり作りがちです。人物の欠落と回復を描けば、感情移入しやすい。でも本当に大切なのは、それぞれが抱える悲しみの理由は違っても程度は同じだということ。大人の視点では「些細なこと」が、子どもにとっては絶望だったりする。僕は「となりのトトロ」が大好きなんですけど、サツキとメイが「お母さん死んじゃうかも」と思ったときの絶望も、それを没入して見ている子どもたちの絶望も、すさまじいと思う。大人は「お母さんが死ぬ映画じゃないだろう」って安心して見ているかもしれないけど。
横山だいすけ:幸せで温かい日常が描かれているのに、ポコッと絶望や大切なメッセージが出てきて、心に残っていくんですよね。僕はうたのお兄さんを9年やってきて、子どもたちに勇気や希望の歌を届けたいと思っていますが、押し付けることはできないと考えてきました。「勇気と希望だよ」って言ってもわかることじゃないから、歌の中に気持ちを込めて伝えていく。その中で子どもたちに種みたいなものが残ってくれたらいいなって。
西村:すごくわかります。僕も子どもがいますけど、勇気や思いやりなんて持てと言われて持てるもんじゃない。初期の児童文学は「これを是としなさい」と教訓的な役割を持って登場しましたが、子どもたちはそっぽを向いた。こぞって読まれたのは大人が大人のために書いた『ロビンソン・クルーソー』でした。文学でも歌でもアニメーション映画でも、誰に向けて書かれたかは関係ない。子どもは自分で見つけるし、実はそれこそがすごく大事だと思ってます。
横山:そうですよね。
西村:でも、こんなに怖いことがあっても人間はくぐり抜けていけるんだよ、と伝えることはできる。人って何かに頼りながら生きているし、何かを失うかもしれない。だいすけさんは「うたのお兄さん」という肩書から、僕は「スタジオジブリ」から離れて、自分の足で立たなきゃいけない。まもなく公開のアニメーション映画「メアリと魔女の花」では、「何かを失ったときに初めて自分の中の本当の力に気づける。それは超常的な力なんかじゃないんだよ」って伝えられたらと思っています。