いま肝に銘ずべきことは、「私たちひとりひとりがメディアリテラシーを高めてゆかないと、この世界はいずれ致命的な仕方で損なわれるリスクがある」ということである。そのことをもっと恐れたほうがいい。

 メディアリテラシーというのは流れてくる情報のいちいちについてその真偽を判定できるほど豊かな知識を備えていることではない。そんなことは不可能である。自分の専門以外のほとんどすべてのことについて、私たちはその真偽を判定できるほどの知識を持っていない。だから、私たちに求められているのは「自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力」なのである。そんなことできるはずがないと思う人がいるかもしれない。けれども、私たちはふだん無意識的にその能力を行使している。知らないことについて知性は真偽を判定できない。けれども、私たちの身体はそれが「深く骨身にしみてくることば」であるか「表層を滑ってゆくことば」であるかを自然に聞きわけている。

 古いバイオリンの音色は、ヨーロッパの石造りの家の厚い壁を通して、遠い部屋でも聴き取れるという。そのような言葉だけが耳を傾けるに値する。(内田樹)

AERA 2017年1月16日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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