自衛隊と海上保安庁は「シン・ゴジラ」脚本閲覧の上で協力している (※写真はイメージ)
自衛隊と海上保安庁は「シン・ゴジラ」脚本閲覧の上で協力している (※写真はイメージ)

 庵野秀明脚本・総監督の「シン・ゴジラ」(2016)は、巨大不明生物と現代日本の国家組織が戦う物語だが、ポリティカル・フィクションとしても注目を集めた。この作品には自衛隊が全面的に協力している。そもそも自衛隊の映画への協力は1954年の「ゴジラ」が最初だ。自衛隊と海上保安庁は脚本閲覧の上で協力している。

 そもそも特撮と軍隊・自衛隊は縁が深い。特技監督の円谷英二は戦前戦中には教材用の航空映画や戦争報道映画で特撮を担当していた。怪獣映画と戦争映画のスタッフは重なっており、初代「ゴジラ」の田中友幸(製作)・本多猪四郎(監督)は直前にも「さらばラバウル」(54)でコンビを組んでいる。田中は自衛隊パイロット訓練生と教官の奮闘を描いた「今日もわれ大空にあり」(64)も製作した。

●頼りない自衛隊像

 ただし初代「ゴジラ」には「自衛隊」は出てこず「防衛隊」となっている。第2作「ゴジラの逆襲」(55)では自衛隊に。とはいえ、昭和期「ゴジラ」シリーズでは、自衛隊が怪獣に勝つことはほぼなかった。怪獣を倒すのは民間人の発明や別の怪獣だ。自衛隊は「貧弱な兵器しか持たない健気でささやかな組織」として描かれていた。

 自衛隊の映画協力は60年代も続くが、70年代、80年代には低調だった。この時期のサブカルチャーは学園紛争などと連動し、反戦反権力のカウンターカルチャー色が強かった。高田渡の「自衛隊に入ろう」(69)もこの頃だ。これは自衛隊を風刺した歌だが世の中には皮肉が通じない相手がいて、防衛庁(当時)から自衛隊のPRソングとしてオファーがあったという。

 70年代には自衛隊のあり方や矛盾を問うような作品が、SFやミステリーで書かれている。半村良原作の映画「戦国自衛隊」(79)は自衛隊の協力がほとんど得られなかった。作中に隊員が無許可離隊を冒す場面があったためとされている。

 自衛隊の撮影協力は無償の代わりに、PRに役立つ作品に限られる。協力が得られれば映画製作側は経費が浮く一方、内容の制約を受ける。逆に協力がなければ批判的な展開も比較的自由に描くことができる。小林久三原作の「皇帝のいない八月」(78)や森村誠一原作の「野性の証明」(同)は自衛隊のクーデターを筋に取り入れている。

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