橙書店の磁力を新井さんはこう言う。

「あの書店が続いているのは奇跡。100%自分のリスクで展開する彼女の姿勢に、作家も編集者も共感する。彼女に選ばれて自分の本が置いてあると、作家も編集者もうれしい。だから、橙書店を拠点に、できることを考えたくなる。そこには損得ではなく心を動かす何かがある」

●新しい文芸誌も誕生

 今年2月、橙書店を編集室に、本発の文芸誌「アルテリ」が生まれた。出版不況の時代に初版1千部(税別900円)が完売、増刷した1千部も売り切った。

 8月末、「アルテリ」2号が刷り上がった。表紙を飾るイラストは、イラストレーターの黒田征太郎さんが地震後に田尻さんを案じて送った何十枚もの絵はがきの一枚である。

 橙書店の常連客、田尻幸子さんは会社員として働きながら作品を発表する現代美術家だ。10月に個展を開く計画があったが、地震で周囲の状況が一変し、作品づくりに意識を集中するのがつらい時期があった。しかし、気持ちが変わった。

「『アルテリ』がこんな状況でもつくられているのを見て、私も展覧会をやろうと思った」

「アルテリ」の言い出しっぺである思想史家・渡辺京二さんは、戦後論壇をリードした「日本読書新聞」の編集者だった。

 熊本に戻ってからは、いくつもの文芸誌を立ち上げる中で、水俣の主婦だった石牟礼道子さんの才能を見いだした。「アルテリ」は、渡辺さんが40年にわたり耕してきた熊本の同時代文学の土壌の系譜につらなる。

 今回の取材で、コンテンポラリーな文学が息づく熊本の豊かさを感じたと渡辺さんに伝えたところ、冷静だが希望もある答えが返ってきた。

「本当の才能はそう多くはないが、それでもいい。ここから有名作家が生まれたらとかいうことは考えない。文学とか思想とか学問をやっていかないと気が済まない人間にとっての表現する場があるということが大事」

(ノンフィクションライター・三宅玲子)

AERA 2016年11月21日号