若い頃の松本は、モーレツ商社マン。新卒で入社した伊藤忠商事では、ベトナムの石炭輸出設備工事の10社コンペを勝ち抜き、アメリカでの農業機械販売のビジネスモデル開発でも圧倒的な売り上げ記録を持つ。

「カネのことばかり考えとったから、倫理観なんてあるとかないとかの問題じゃなくて意識の外だった」(松本)

 転機は39歳のとき。医療機器輸入販売会社に営業本部長として出向すると、現場主義の松本は手術室にも頻繁に足を運んだ。患者の家族から直接お礼を言われたり、中にはわざわざ礼状を送ってくる患者がいたり。

 商社の営業では味わうことのなかった「人に喜ばれる体験」が、松本の中に眠っていた「人の役に立ちたい」という感情を目覚めさせた。
 
 45 歳で伊藤忠を辞めたとき、松本はスカウトのあった23社から、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)を選ぶ。同社の「クレド(我が信条)」に惹かれたからだ。

 クレドは、J&Jの成長ストーリーと共にビジネススクールでケーススタディーの対象となるなど、優れた社是としてすでに知られていた。企業が責任を果たすべきは「第1が顧客、第2が社員、第3に地域社会、そして最後に株主」とし、各対象にどう責任を果たすべきかについても過不足なく示す。松本は言う。

「これほど完璧な社是はない。出会っていなければ自分はプロ経営者になっていなかった」

 他の経営者から「うちもクレドを作りたい」と相談されると「このまま使ったら」と応じるほどだ。(ライター・三宅玲子)

AERA 2016年4月11日号より抜粋