大学卒業後、外資系メーカーに入社したが退職。報道の現場に飛び込んだのが24歳のときだ。81 年、NHKの午後7時のニュースで日本語と英語の2カ国語放送がスタートするのと同時に、英語放送のアナウンサーに選ばれた。

 最初に任されたのは、原稿を読み上げる仕事と、一日1本渡される日本語ニュースの原稿を英訳する仕事。原稿は午後3時ごろには渡された。内容も、地域のお祭りや季節の果物の収穫など、そう難しいものではなかった。しかし、「帰国子女」のはずの彼女が、午後7時の放送時間までに英訳を仕上げるのに苦労したという。

「自分の英語力は『使えない』ものだったんです」

 例えば、「節分」など日本人には一言ですむ言葉も、英語のニュースでは由来や解説を加えなければならない。だからといって、英語だけ放送時間が延びるわけではない。英語は話せるけれど、日本のことをわかりやすく英語で伝える知識や英語力が自分にはないと自覚した。

 以来、週に3回、同時通訳の学校に通い、日本語で語られる内容の背景や意味を分かりやすく簡潔な英語で伝える訓練を積んだ。NHKの仕事とは別に、外国人ジャーナリストの取材の補助の仕事も引き受けた。後に世界遺産に登録される群馬県の富岡製糸場など、現場取材にも同行した。

 この取材を通じて、

「海外の人たちが、日本のこういうところに関心を持っている
んだ、日本のこの部分が分からないんだ、というポイントを知ることができました」

(アエラ編集部)

AERA  2016年2月29日号より抜粋