こう話すのは、猪瀬氏が30代のころを知るジャーナリストの池田房雄氏だ。さらに猪瀬氏の個人事務所の元関係者は、

「猪瀬さんの脇の甘さは、3人の女性に甘やかされて育てられたからです。1人目は既に亡くなられた実母です。2人目はこの前亡くなられた奥さん。そして3人目は猪瀬事務所の金庫番のT女史です。この方は学生運動をやっていたときからの同志みたいな感じです。女性スキャンダルがある度に奥さんとTさんにバレないように、猪瀬さんは必死でしたよ。一方で、終電がなくなるまで残業してタクシー代を何度か請求したら、事務所に泊まれと言われました。スタッフには厳しかった」

 端から見ると、T女史が猪瀬氏の姉のような存在に見えたという。

 ライター活動が本格化したのは、ジャーナリストの小板橋二郎氏が率いたライター集団「グループ915」に、山根一眞氏や佐野眞一氏らと共に所属したときだ。

「アンカー(記事原稿の執筆)の仕事は早くこなしていたが、よく遅刻するから叱ったことがある。すると『子供の頃から遅刻しないように走って汗をかいていました』なんて妙な言い訳をするんです。それにいつも生意気な口をきくから『世の中はお前のおっかさんばかりじゃないんだ。舐めた口きくと張り倒されるぞ』と怒鳴ったこともあった」(小板橋氏)

AERA 2013年12月30日-2014年1月6日号より抜粋