寺山修司と親友・浅利慶太 出会いは「奇妙なはがき」 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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寺山修司と親友・浅利慶太 出会いは「奇妙なはがき」

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 寺山修司がこの世を去って30年。いまだ彼の作品に魅了されるファンは多い。そんな寺山の魅力について、彼の親友であり劇団四季の代表である浅利慶太さんは次のように話す。

*  *  *
 劇団四季の創立間もない頃、19歳の寺山から22歳の私に届いた入団希望のはがきが初めての出会いでした。絵とも文字ともつかない奇妙な構図でね。よかれと思って、寺山と似た美的感覚を持つ舞台装置家・金森馨に渡したら、行方不明になってしまいました。会ったのは、数年後。谷川俊太郎が連れてきたのです。それで、寺山が初めて書いた戯曲が「血は立ったまま眠っている」。さらに、この6月から全国巡演が始まる「はだかの王様」の台本も執筆。彼が残した作品は、今でも子供たちを魅了し続けているのです。

 その後は、目指すものが違ってきたため、仕事上の交流はほとんどなし。私にとっての演劇は、トロッコに荷物を積んで走らせるような重労働。天から降ってきたイメージの華を咲かせるものではなかったから。それでも、友情関係は変わらなかった。今でも親友だと思っています。寺山は一般的にアヴァンギャルドのイメージが強いけれど、間違いなく、日本語の天才です。詩もいいけれど、和歌がまた素晴らしい。ぜひ一度触れてみてほしいですね。

 寺山が話した東北弁は、様々な音が響き合う美しい言語です。寺山だけでなく、太宰治や宮沢賢治らの天才が生まれた土壌は、方言にあるのではないか。寺山が生きていれば、語られる日本語の美しさを追求する芝居を一緒にやっていたでしょう。彼の紡いだ言葉がある限り、これからも寺山修司は愛され続けるに違いありません。

AERA 2013年6月3日号


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