JALエンジニアリング成田部品整備センター佐々木一至(35)入社後の作文に「こいつじゃなきゃできない仕事ができる人間になりたい」と書いた。その頃の気持ちを破綻後、取り戻せた(撮影/伊ケ崎忍)
JALエンジニアリング
成田部品整備センター
佐々木一至(35)

入社後の作文に「こいつじゃなきゃできない仕事ができる人間になりたい」と書いた。その頃の気持ちを破綻後、取り戻せた(撮影/伊ケ崎忍)

 経営破たんするも、2010年に京セラの稲盛和夫氏(81)が会長に就任、見事再生を果たしたJAL。しかし京セラ流が導入されたからといって、急に社員の意識改革が進んだわけではない。

 整備士の佐々木一至(35)は破綻前、「会社と自分をつなぐのは給料だけ」と思っていた。上司からの頼まれ仕事は「忙しいですから」と断ってきた。漫然と残業も続けていた。

 整備では、リストラで大勢の年配社員が職場を去った。その送別会。出てくるのは会社への恨み、つらみ。そんな頃、社員の気持ちを束ねる行動規範として作成された「JALフィロソフィ」の40項目を見つめた。

「俺、1項目しかできてないじゃん」

 すぐに優等生にはなれない。だが、この会社で働く自分を好きになることから始めたいと思った。今はフィロソフィの勉強会でファシリテーター(指導役)を務める。

 客室乗務員の吉原実佳(46)は、経営はどこかで誰かがやっている、自分には関係ないことだと思ってきた。破綻後、稲盛が書いた会計本を買った。減価償却の概念、キャッシュベース経営の原則。目次を見るだけで頭が痛くなったが、DVDを見るうちに抵抗感は薄れていった。

 今、路線の収支や搭乗率はリアルタイムで開示されるようになった。不思議なもので、数字で示されると、それを上回ろうと現場も動く。経費を削るため書類はコピーせずにメモを取る。持ち込む荷物は極力減らす。機内販売では商人(あきんど)を意味する「AKD48」と名付けた活動も始まった。

「他人事と思わず、自分もやる。それが経営だとわかった」

AERA 2013年5月20日号