3月号朝日新聞編集委員 藤田直央Fujita Naotakaコロナ禍前の12日間、ドイツの気概感じた旅 (2/2) |AERA dot. (アエラドット)

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朝日新聞編集委員 藤田直央Fujita Naotaka
コロナ禍前の12日間、ドイツの気概感じた旅

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 その克服が戦後ドイツの理念となったが、近年は難民への排外主義で揺らぎも見える。あらゆる意味で避けて通れないナチズムは私の手に負えるのか。不安を抱えつつフランクフルト国際空港に着いたのが1年前だった。

 旅の成果への評価は、GLOBEや論座の記事に加筆した本書の読者の皆様に委ねたいが、硬いテーマの割には読みやすくなったと思う。私が見聞きし理解する過程を追体験していただければと、旅行記風に写真も多く載せた。

 真摯に向き合ってくれたドイツの人々への感謝は尽きない。戦前に触れたがらない老母とのすれ違いを語ったナチス遺構ガイドの男性(選書の表紙に登場)、戦後の周辺国との和解を支えた国際教科書研究所の所長、コール首相と国立追悼施設発足へ動いた元国立ドイツ歴史博物館長、ネット時代に若者への歴史教育を模索する教師たち……。

 取材への対応ぶりには、ナチズムを負の遺産として引き受けつつ、戦後憲法に掲げた「人間の尊厳」を重んじ、過ちを繰り返さないという意志が通底していた。戦後も様々な問題に直面したがいつもそこに立ち戻ってきたのだ、と日本からの新聞記者に伝えたいという熱があった。

 その気概は「ナショナリズムを陶冶する」と表すにふさわしく、本書のタイトルとした。陶冶とは、陶工や鋳物師が作品を仕上げていくように、国民がナショナリズムを我が分身として作り上げていくという意味だ。

 翻(ひるがえ)って日本はどうだろう。ナショナリズムを賛美したり嫌悪したりと喧(かまびす)しい議論は続くが、「国民がまとまろうとする気持ちや動き」として近現代史にどう表れてきたかを省み、特に国民が主権者となった戦後において「陶冶する」と呼べる営みはなされてきただろうか。

 本書ではその辺りを、ナショナリズムに造詣の深い東京大学名誉教授の姜尚中(カンサンジュン)氏と皇居を歩いたり、終戦の日に混み合う靖国神社を訪ねたりして考えたが、まだ旅の途中だ。実現していない韓国取材とともに宿題にしたい。

 それにしても、コロナ禍が1年以上続くとは。防寒用の窮屈な靴でドイツを歩き両足の親指ともはがれた爪はとっくに治った。旅ではナチス時代を学ぶため史跡や史料館に来た欧州各国の生徒たちに接したが、そうした見学は激減したというメールがドイツで出会った人々から届く。

 歴史を学ぶ体験や問題解決を探る対話でリアルな場が減ったのは日本でも同じだ。それがナショナリズムの陶冶にどう影響を及ぼすのかも、注視していきたい。



(更新 2021/3/ 1 )


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