「つぶ餡こし餡」と最終話「立夏の水菓子」は、本書のメインともいえる菓子屋乗っ取りの陰謀が描かれる。

 菓子屋の中村屋は、染谷の妻の太郎が辰巳芸者をしていた頃から懇意にしていたが、いまりが土産にくれたまんじゅうを食べると、餡の味が変わっていた。主の善助は五十六になり、身体に相当な無理がきているらしい。

 長年、重労働の菓子作りをしてきた善助は、身体の痛みに耐えかね、呉れ尾組の佐津吉から朝鮮人参入りの膏薬を買った。その効果は劇的だったが、次第に効いている時間が短くなり、佐津吉が売る膏薬の値段もつり上がった。やがて佐津吉は店に入り込み、菓子作りにも口を挟み出す。

 当たり前の社会生活を送っていると、犯罪とは無縁だと考えやすい。だが海千山千の犯罪者は、悪事に手を染めていると自覚させないまま、巧妙に普通の人を悪の道に引きずり込むようだ。疲れが取れる、痩せられるなどといって違法薬物を安く売り、依存症の兆候が出始めたら高い値段に切り替える手口は、古くから使われてきた。また北九州や尼崎で起きた一家監禁連続殺人事件が表に出た時、なぜ被害者は逃げ出したり、助けを求めたりしなかったのかとの疑問も出たが、黒幕はマインドコントロールで被害者の思考能力を奪い、自在に操っていたことも分かっている。

 こうした現在も使われている手口で善助を罠に嵌めた佐津吉が、すべてを奪う展開は、犯罪が日常のすぐ近くにある現実を指摘しているだけに、恐怖が生々しく伝わってくる。さらに呉れ尾組は、幕府が厳密に管理している朝鮮人参をどこから手に入れたのか、なぜ中村屋を狙うのかなど謎が謎を呼ぶ展開になるので、引き込まれるはずだ。

 染谷たちは強大な敵に苦戦を強いられるが、その最大の原因は、善助が染谷よりも佐津吉を信用し助けを拒むからにほかならない。染谷は、善助が自分で助けを求めてくるまで事態を静観するが、ここからは、どん底から這い上がるためには恥をさらす覚悟で人や社会と積極的に繋がる必要があり、その人が自立できるようさりげなく手を差し伸べるのが真の人情であることも見えてくるのである。