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先日、五味文彦の『後鳥羽上皇』を読んでさまざまなことを考えた。目崎徳衛の『史伝 後鳥羽院』もそうだが、歴史と文学、政治と文学についてまったく新しい眼で眺めるよう促されていると思えたのである。これは網野善彦の仕事と対比するといっそう明瞭になるのだが、網野の著作がフランスのアナール派に一脈通じる民衆史の文脈で話題になったのと対照的に、五味や目崎の著作では、固有名を持った1人の人間がそれ自体ひとつの政治的な装置として機能せざるをえないその仕組が顕わになるのである。もともと人間とはそういうものとしてあると思わせられる。
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