来年はベートーヴェン生誕250年 ボンとウィーン“縁の地”を訪ねて 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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来年はベートーヴェン生誕250年 ボンとウィーン“縁の地”を訪ねて

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鷹野晃週刊朝日
(左)ウィーンのハイリゲンシュタット公園にある散歩姿の像。後ろ手に帽子を持ちコートのポケットには五線紙がいつもしのばせてあった/(右)ベートーヴェン・ハウス (撮影/鷹野晃)

(左)ウィーンのハイリゲンシュタット公園にある散歩姿の像。後ろ手に帽子を持ちコートのポケットには五線紙がいつもしのばせてあった/(右)ベートーヴェン・ハウス (撮影/鷹野晃)

 ベートーヴェンが誕生して、2020年の12月16日で250年。今後1年は「ベートーヴェンイヤー」として、さまざまなイベントが行われる。彼が誕生したドイツ・ボンや、第九が初演されたオーストリア・ウィーンの街には、所々に「楽聖」の足跡があった。

【写真】父親が通っていたレストランと名物のベートーヴェンスープ

 ベートーヴェンは、ドイツの古都ボンに生まれ、21歳で音楽の都・ウィーンにきた。

 ピアノの即興演奏で注目され、貴族のパトロンたちの庇護を得るが、27歳頃から難聴に苦しめられ、48歳頃にはほぼ全ての聴力を失う。しかし、そうした苦悩の中から第九、運命、田園などの交響曲や、月光、熱情、悲愴などのピアノソナタといった奇跡のような名曲を生み出し、後世の音楽家に圧倒的な影響を与えた。

 彼がもたらした「人類への偉大な贈り物」を感じながら、縁(ゆかり)の街を歩いてみよう。

■Bonnボン~生誕の地~
 いまでは博物館になっている生家をはじめ、父親が通ったレストランなども残っている。

・父親が通っていたレストラン
昔も今も美味しいビールを求める客で賑わう「イム・シュティーフェル」。生家の並びにある。名物のベートーヴェンスープ
(左)父親が通っていたレストラン/(右)名物のベートーヴェンスープ (撮影/鷹野晃)

(左)父親が通っていたレストラン/(右)名物のベートーヴェンスープ (撮影/鷹野晃)

・街中の壁画
ベートーヴェンの壁画や肖像画やさまざまな像をよく見かける。市民が彼の生誕地であることを誇らしく思っている証拠だ
街中の壁画 (撮影/鷹野晃)

街中の壁画 (撮影/鷹野晃)

・ベートーヴェン・ハウス
生家は、ベートーヴェンに関する世界最大級の博物館になっている。中庭には多くの胸像が置かれている。宮廷音楽家の父ヨハンと母マリア・マグダレーナの第2 子として生まれた屋根裏部屋。遺品の補聴器やステッキなどが展示されている
ベートーヴェン・ハウス (撮影/鷹野晃)

ベートーヴェン・ハウス (撮影/鷹野晃)

■Wienウィーン~飛躍の地~
「第九」を初演した劇場、「田園」を着想した小径、遺書を書いた家などを訪ねられる。

・ベートーヴェンの小径
ベートーヴェンは遺書の家の北を流れるシュライバー川沿いをよく散歩した。交響曲「田園」を着想したのも納得の気持ちが良い散歩道

・ホテル・ザッハー(ケルントナートーア劇場跡)
1824年5月、「第九」が初演された劇場の跡には、チョコレートケーキのザッハトルテで有名なホテル・ザッハーがある
(左)ベートーヴェンの小径/(右)ホテル・ザッハー[ケルントナートーア劇場跡] (撮影/鷹野晃)

(左)ベートーヴェンの小径/(右)ホテル・ザッハー[ケルントナートーア劇場跡] (撮影/鷹野晃)


・メトロノームの形をした墓
中央墓地には音楽家たちの眠る一画があった。モーツァルトの記念碑、シューベルト、ベートーヴェンの墓
メトロノームの形をした墓 (撮影/鷹野晃)

メトロノームの形をした墓 (撮影/鷹野晃)

・ハイリゲンシュタットの遺書の家
弟たちへ遺書を書いたことからこの名がついた記念館。展示されているデスマスク
ハイリゲンシュタットの遺書の家 (撮影/鷹野晃)

ハイリゲンシュタットの遺書の家 (撮影/鷹野晃)

(文/鷹野晃)

週刊朝日  2019年12月20日号

協力=ベートーヴェン祝典祭協会、ドイツ歴史古都連盟、ボン観光局、ウィーン観光局

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