人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「旅」について。

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 その川下りは四百年の歴史がある。ということは、江戸時代から続く由緒ある観光の一つ。私も京都の友人からぜひとすすめられ、船は苦手なのも顧みず乗ったことがある。

 亀岡から嵐山に至る保津川下りは、細い川筋を各所で岩がせきとめることで、さらに流れが複雑になり、急流のあまり水が泡立つような個所もある。

 三月二十八日に起きた保津峡での事故は、乗船後十五分ほどの個所で起きた。前日まで雨が降って増水していたから、流れはさらに急になっていた。船頭は四人、客は二十五人で規定通りだった。

 私が乗ったのは十五年ぐらい前だが、やはり春の行楽時だった。流れのあちこちに花筏(はないかだ)が浮かんでいる。それを縫いながら、さらに、花びらが上からも時折降ってきた。

 今回はまだ満開の桜の下で、乗客の中からは嘆声も歓声も上がっていただろう。急に浮き上がるように船は岩に乗り上げ座礁、間もなく転覆した。原因はカジを取っていた船頭が船から落ちて、船が岩にぶつかったことだという。

 なにしろ川幅が狭く、それに合わせて船も細長い。四人の船頭という人力が物を言う。それが売りでもあった。

 私が乗った時も手をのばせば川岸の岩に触れるような所もあって、木曽川や最上川など、大河を下る川下りとは、全く趣が違う。そこがスリル満点でもある。船頭さんと一体になって味わう醍醐味。船を見下ろすように、すぐそばを鉄道も走っている。

 船頭が一人落ちたことで船は制御不能になり、さらに船頭の一人が死亡、もう一人の船頭が行方不明になり、その後死亡が確認された。

 スリルが売りの川下りが、逆に事故を引き起こしてしまった。

 船頭のアナウンスにもあった。

「……スリル満点! メッチャ怖いですよ」

 ほんとにメッチャ怖いことが起きると思ったらそんなことは言えない。絶対の自信があったからこそ言えるセリフなのだ。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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